ヨブ記 7章
6章に続き7章の前半もヨブの友人への応答であるが、途中から神への訴えが始まる。ヨブはあまりにも体の痛み苦しみに耐えられなくて、神に嘆きの思いで訴えている。
10人の子ども達、財産すべてを失った時のヨブは、悲しみの中から立ち上がって、神を決して見失うことなく堂々として立派であった。でも、人間の己自身の体の痛みになると本音が出てくるものである。そして、ヨブはまるで神に敵対するかのような投げやり的な口調で訴えるのである。
「私は海でしょうか、それとも竜でしょうか。あなたが私の上に見張りを置かれるとは。」12節
「あなたは、いくつもの夢で私をおののかせ、幻によって私をおびえさせます。」14節
もういやです。いつまでも生きたくありません。かまわないでください。私の日々は空しいものです。」16節
ヨブの気持ちは、私達自身が体や精神的に痛みつけられている時に共通するものが多々にあることではないだろうか。さらにヨブは、
「どうしてあなたは、私を標的とされるのですか。」20節
「どうして、あなたは私の背きを赦さず、私の咎を取り去ってくださらないのですか。」21節
投げやり的な、「どうして」ということばが2度も続く。それは、まるで私自身のことばでもあるように思わされた。感謝なことに、私達は投げやり的なことばであってもそれを神に訴えることが許されていることは恵みである。
私も人生で一番悲しくて辛い時があった。ヨブ記を読んでいてあの辛かったことがまるで走馬灯のようによみがえってきた。私もヨブのように何度も、何度も激しく泣き叫んだことがあった。そして、神に激しく大声をあげて泣きながら訴え続けたことがまるで昨日のように思われる。「なぜですか?」のことばしかでてこなくて、「神なんかいるもんか。教会なんか誰が行くもんか。」と自暴自棄になったことがあったけど、神様は、このような私を見捨てられなかった。感謝だった。
悲しい時、辛い時は思い切り神に自分のありのままをさらけ出すことである。その嘆き、悲しみ、苦しみは希望へとかえられるから。喜びの涙にかえられるから。神によりいっそう近づくことができ、さらに信仰の深みに入らせていただけることができるから。
「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」へブル人への手紙13:5
祈り
天の父なる神様、御名をほめたたえます。人生の苦難の中にいる時には、人にではなく、神様だけに自分のありのままを訴えることができますように助け導いて下さい。
感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。 アーメン。
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