top of page
hccnichigo

2021年6月29日ディボーション

ヨブ記6章


『神が望むままに…』


 人はみな、自分を生きている。それゆえ、時に葛藤を覚える。信仰者であれば、その道々によっては、ずっと信頼していた神に苦悶する。これは、「神を知っている(信じている)」がゆえに溢れてくる葛藤とも言える問いだ。

 現代を生きる私たち信仰者にも多分にある、そのような神への問いがヨブ記には見事に表されている。


 ここで、友人エリファズの声に、ヨブは口を開いて答える。

2節「ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の破滅が、ともに秤にかけられたらよいのに。…」


 神を知っているがゆえの「どうして?」「なぜ?」という疑問は、現代も信仰者をついて止まない。時として、私たちだって近しい人とヨブと友人たちのように、「どうしてだろう?」と問うてしまっては、そのドツボにはまってしまうことだってあるかもしれない。


 苦難のただ中で、ヨブの口からこの時に出た答えには心を打たれる。


「ああ、私の願いがかなえられ、私が望むものを神が下さるとよいのに。

 神が望むままに私を砕き、御手を伸ばして私を絶たれるのであれば、

 それはなおも私にとって慰めであり、容赦ない激痛の中でも、私は小躍りして喜ぶ。

 私は聖なる方のことばを、拒んだことはない。」8〜10節


ああ、私の願いがかなえられ、…」というヨブの声は、信仰を持つ者としての痛切な神への願いだ。しかし、そのあと、彼は「神が望むままに私を砕き、…」と語り出す。この状況、この現実であっても、これが神の主権のもとにあることなら、それは「容赦ない激痛の中でも、私は小躍りして喜ぶ。」と彼は答える。

「激痛の中でも喜ぶ」これは一見矛盾しているように思うが真理である。


 なぜなら、主イエス・キリストの十字架こそ、まさにそれであるからだ。


主よ、私自身もこの道で、この真理にある主の道を知り得て歩むことができるように、この者を導いてください。主よ、あなたなしにはできません。私を強め導いてください。アーメン。

閲覧数:53回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2021年12月31日 ディボーション

詩篇第五巻 121篇 『主はあなたを守る方』 今、不安な日々を過ごしている人、深い悲しみに打ち沈んでいる人、思うようにならなくて焦っている人、どれほど頑張っても満足が得られない人、悲観的なものの見方しかできない人、過去の傷の痛みを引きずったままの人、怒りの感情をうまく処理で...

2021年12 月30日 ディボーション

詩篇第五巻 120篇 “Lord, Fill Us With Your Truth!” 詩篇120篇は、120篇から134篇までの15の詩篇のうち、「都上りの歌」と呼ばれる詩篇の最初のものです。英語の"Ascents "という言葉は、「高いところへの旅 」という意味です。...

2021年12月29日 ディボーション

詩篇第五巻 119篇 「主よ 私の叫びが御前に近づきますように。あなたのみことばのとおりに 私に悟り を与えてください。」(169節) 誰でも災難に遭うのが分かっているのに、それに向かって進むのは嫌だ。しかし信 仰によって立つと言うことは私の不安は二の次にして、主が守ってく...

Comments


bottom of page