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2021年6月23日  ディボーション

ヨハネの黙示録 22章


 いよいよ黙示録最後、そして聖書の最後のところにきた。

大変むつかしくて理解するのにかなりの難解で、はっきり言ってまだまだわからないことだらけである。でも今回のディボーションで少しではあるけれども、黙示録に近づくことができたことは感謝である。


 黙示録をディボーションしてきて示されたことは、裁きと救いについての二つの大きな分かれ目である。神の怒りからくる罪と死による裁き、地獄からの救いである。

 イタリアに行った時、バチカンの中にあったミケランジェロのフレスコ画、”最後の審判”を見た時は感動して思わず固まってしまったことを思い出した。ヨハネは、そのようなものと比べものにならないそれ以上のものを見て、聞いて感動して、思わず御使いの足もとにひれ伏して礼拝しようとしたことが何となくわかるような気がする。


 黙示録22章は、すべてが意味深くどの箇所を取りあげてもそれぞれに心に響いてくるものばかりである。特に、示されたことは、17節、20節、21節のみことばである。


17節 「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。」

 イエス様は、最後まで救われることを語っておられる。待っておられるのだ。つまり、永遠の救いへの門は開かれているということである。全ての人に、どんな境遇の中にいる人にも渇く者は来なさい、ただで受けなさいと招いておられるのである。神様は、一人として滅びに至る者を望んでおられないのである。


20節 「しかり、わたしはすぐに来る。」と、イエス様は、はっきりと何度もお語りなっておられる。そのみことばには大きな希望があり待ち望む喜びがある。それは、祝福である。

 私も、主の再臨を待ち望みながら、地上で残された日々を多くの人々に福音の種を蒔き続けていきたいものである。


 黙示録、又、聖書の最後のみことば、21節 「主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。」で締めくくられている。つまり、神が私達の為にして下さったこと、そして、やがてイエス様が戻ってこられること。それは、一方的な神の恵みである。


祈り

神様、あなたの一方的な恵みにあずからせていただけることを心から感謝します。

私も大きな声で言います。主イエスよ、来てください。

主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。

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