2021年6月21日 ディボーション

ヨハネの黙示録20章


『幸いなる者、聖なる者』


 キリストは再臨され、いよいよキリストによる王国の時代が到来した。大患難時代に殉教の死を遂げた聖徒たちは、キリストの再臨と共に復活し、千年続くこの王国でキリストとともに世界を統治する。これでやっと、恐ろしい時代から、愛と平安に満ちた時代が始まるのである。

 しかしその内容については何も書かれていない。書かれていないどころか、このことについては6節で終わり、7節からは、再び神による厳しいさばきについて書かれてある。私が、黙示録を恐ろしく思うのは、サタンの迫害が凄まじいこと、そしてそれに対する神のさばきも凄まじいからである。だから、敬遠しがちになる。しかし、怖がらずにじっくり読んでいくうちに、神様がこの書を通して伝えようとされていることが示された。


 「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して第二の死は何の力も持っていない。」(6節)


 私にとってこのみことばは、ヨハネ3:16と同じに思えた。神は、御子を信じる者を守り抜いてくださり、約束どおり、永遠の御国へと導かれる。しかし、イエスを知らない人たちはどうなるのか。神さまはなぜ、黙示録を与えたのか。それは、一人でも多くの人が、この第一の復活にあずかることができるよう、私たちには福音を伝えるという使命が与えられている、ということではないだろうか。特に、未信者である家族に早く伝えなければ、という思いにさせられる。

 だが、救いは私の努力でなせるものではない。救いは主のものであり、主の一方的なみわざである。私がそうであったように、私の家族もいつか必ず、みことばを必要とする時が来ると信じている。そのみことばを伝える役目が、私にいただけるというのなら、聖霊さまの力をお借りして、心を込めて、イエスさまの愛を伝えたいと思う。


祈り:

 私の名が、いのちの書に記されていることを心より感謝します。あなたは私のような者にも、永遠の救いを与えてくださいました。どうか、日本にいます家族にも、救いが与えられますように。願わくば、私自らがその器となって、イエス様の愛を伝える者としていただけますように。また、あなたを知らないで、この世を去られた人たちのたましいでさえ、あなたは愛してくださっていると、私は信じます。あなたの愛に心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


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