ヨハネの黙示録 一章
とうとう聖書の最後の難解な黙示録にたどりついた。
2001年の修養会のメインスピーカーは、あの有名な東京聖書学院の学長であられる小林和夫先生だった。小林先生は、熱く語られておられたが、当時の私には大変むつかしすぎてなかなか理解できなかった(今も、まだまだ学びの段階中である)。修養会に来られておられる中には、黙示録の解説を聞いていてこれ以上続行していくのが怖くなって帰られたということもあったらしい。
タイトルがヨハネの黙示録となっていて、著者はもちろんヨハネによって記されたものであるが、本当は、イエスキリストの黙示である。ヨハネがパトモス島で捕らわれの身であった時に聖霊によって起こされた出来事が記されたことである。いきなり最初から重きあるみことばが続く。
神はすでに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。つまり、しもべたちに伝える順番が、神-イエスキリスト-御使い-ヨハネ-7つの教会とヨハネが神の代筆人となって書き記されたものである。このヨハネの黙示録が記された時は、地上が大変な迫害があった時である。私達も過去を振り返ってみると、今、まさにその道筋の中を通っているのではないだろうか。
数年前にある本が出回ていた。その本のタイトルが[LEFT BEHIND]で、内容はこの黙示録の預言を実況したもので、テレビや映画にもなり多くの人々にかなり大きなインパクトを与えた。世界中で突然人々が消えてしまうというところからスタートしていった。信仰深い人々が突然姿を消し、信仰に乏しい人々が残されてこれからの人生をどのように生きていくかという内容だった。信仰深い人々というのは、つまりは、クリスチャンのことだろう。その本を読み終わった時に示されたことは、やはり伝道をしていかなければいけないことだった。
ヨハネは、イエスキリストが十字架に架けられる前からイエス様と行動を共にしていたからよくイエス様のお顔、容姿をご存知だった。だが、パトモス島に現れたイエス様の容姿をごらんになって、あまりにも形相が変わっておられたので卒倒した。イエス様はヨハネに右手をおかれて言われた。17節 - 19節 [恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。それゆえ、あなたがみたこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。] ヨハネは大変光栄に思ったにちがいない。イエス様が愛した12人の中の弟子の一人ヨハネに現れてこられて、[あなたがみたこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ.]とお告げになられた。
私達にこれから起ころうとしていることをヨハネをとおして書き記されたのが聖書である。この聖書を通して語られる預言をしっかりと学んでいきたい。そして、イエス様をまだ知らない多くの人々に伝えるようになりたいものである。
祈り
恵み深き天の父なる神様、あなたの御名をほめたたえます。
今日から黙示録にはいります。聖書のなかで一番むつかしいことが
多々にあります。ヨハネをとおして記された予言を学びますけど、どうぞあなたが
私になにをお語りになっているかをお示し下さい。正しく理解して、そしてそのことを
あなたの御名をあがめるためのよき働きができますように助けてください。
感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。 アーメン
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