2021年6月15日ディボーション

ヨハネの黙示録14章


『聖徒を貫く』


 三人の御使いの声が響く。その声の後にヨハネが記したことばが心に留まった。


12節ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。」


 キリスト・イエスにあって聖なる者とされた私たち、聖徒たちには皆、共通の召しがある。それは、神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続けるという召しだ。それには、忍耐が必要であることをヨハネはここに記している。それほどに、この終わりの時代、聖徒を生きるということはチャレンジなことでもあるのだ。そのことを教えられる。


 しかし同時に、ヨハネに天からの声が響く。それは、この地上を生きる聖徒たちにとって、天来の慰めのことばである。


13節書き記せ、今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」御霊も言われる。「しかりその人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」



天のお父様

今、私はヨハネにあなたが「書き記せ」と、お命じになった神のことばを読んでいます。この約束を感謝します。キリスト・イエスにあって聖なる者とされた一人として、この時代を歩み続けることができるように、主よ、今日も私をお導きください。

あなたに約束されている天国の希望、その全き平安の約束を心から感謝します。その日まで、私の日ごとのすべての業が御前にいつも受け入れられるものでありますように。アーメン。


閲覧数:39回

最新記事

すべて表示

ヨブ記 7章 6章に続き7章の前半もヨブの友人への応答であるが、途中から神への訴えが始まる。ヨブはあまりにも体の痛み苦しみに耐えられなくて、神に嘆きの思いで訴えている。 10人の子ども達、財産すべてを失った時のヨブは、悲しみの中から立ち上がって、神を決して見失うことなく堂々として立派であった。でも、人間の己自身の体の痛みになると本音が出てくるものである。そして、ヨブはまるで神に敵対するかのような投

ヨブ記6章 『神が望むままに…』 人はみな、自分を生きている。それゆえ、時に葛藤を覚える。信仰者であれば、その道々によっては、ずっと信頼していた神に苦悶する。これは、「神を知っている(信じている)」がゆえに溢れてくる葛藤とも言える問いだ。 現代を生きる私たち信仰者にも多分にある、そのような神への問いがヨブ記には見事に表されている。 ここで、友人エリファズの声に、ヨブは口を開いて答える。 2節「ああ

ヨブ記5章 不幸や苦しみの原因は、罪を犯した愚か者への罰である。神に歯向わず、赦しと癒しを願い求めよ、とエリファズはヨブを諭す。 「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。」(8節) 「全能者の訓戒を拒んではならない。」(17節) 「神は傷つけるが、その傷を包み、打ち砕くが、御手で癒してくださる。」(18節) エリファズの発言は正しい。ただ、ヨブが愚か者だと断定するところに違和感を