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2021年5月27日 ディボーション

エステル記 5章


『密かに働かれる主』

 

  世の中にはどうして弱いものいじめ、暴力、詐欺など沢山の悪が蔓延っているのだろ うか? そのような目に遭っても、神の子となった私たちは何をすべきか? エステルが催す宴に知恵が込められていると思った。 前の章から話は続く。ユダヤの民の滅亡計画を耳にしたエステル。平穏無事な王宮生活を捨て、命懸けて民族救済の為に行動しようと決断をする。当時、呼ばれてないのに 勝手に王の前に出たものは打首だ。エステルの死=イスラエルの民の滅亡なのだ。

 ここまでのエステルとモルデカイのやり取りで、エズラやネヘミヤのように主の名を唱え、祈り、律法に顧みて、自分の行いの正当性を問う場面は出てこない。なぜなら 彼らはバビロン捕囚の民の末裔。世代が過ぎると伝承は薄れて行く。日本文化の伝承のようだ。彼らの主によりたのむ生活習慣も御言葉に触れる機会が減り霊的成熟にいきづ まり、また後退していたのかもしれない。しかし主に選ばれ、霊的に成熟し民のリー ダーとなったエズラやネヘミヤだけが神様にとってお気に入りではない。霊的成熟の途 中にあるエステルやモルデカイにも主の愛は注がれるのだ。


「主は、曲がった者を忌み嫌い、直ぐな人と親しくされるからだ」箴言3章32節。


「これらのことはすべて、神から出ています。神はキリストによって私たちをご自分と 和解させ、また、和解の務めを私たちに与てくださいました。すなわち、神はキリスト にあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを 私たちに委ねられました。」コリント人への手紙第二18-19節。 ユダヤの直系でも無い私たちが神の恵みに預かれるのは、主なるイエス様の贖いのお かげ。なんと素晴らしいことか。

 主の密かな働きによって、王はエステルに好意を向ける。(2節)エステルはここで 命拾いする。その場で、ハマンの悪事を発表して事件をさっさと終えることもできる。 しかし、エステルは宴会を催して、敵であるハマンも招待する。食事を共にすると言う ことは当時では、お互いの関係回復の意味もあった。30日間およびがなかった王との 関係、そしてユダの民に敵意を持つハマンとの関係回復も願っていたのではないだろう か?

 燃えるシバのように現れてくれる神様が理想だが、黒子のように、演じる者が動きや すいように後ろで助けてくれる神様。この章から、神様はいつも私たちの味方なのだと 強く確信し、信仰によって父の子とされた事を誇りに思う。


●祈り

天の父なる神様。あなたはとっても控えめな方です。こっそり私たちをいつも見守 り、助けてくれます。本当に人生と言う舞台の黒子です。いや、本当はパペットショー の人形を作り出したクリエイター。全てをあなたに委ねてあなたの脚本でこの人生を全 うしたいです。全てを感謝し、あなたに委ね、主、イエスキリストのお名前によって御 前にお捧げいたします。アーメン。

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