エステル記 2章
前章では、クセルクセス王が、自分の命令に従わなかった王妃ワシュティに人前で恥をかかされたことで激昂し、王妃を剥奪する処分を下した。ところが2章の冒頭で「これ らの出来事の後、クセルクセス王の憤りが収まると、王はワシュティのこと、彼女のし たこと、彼女について決められたことを思い出した。」と書かれている。
お酒に酔った勢いで調子に乗り、一時の感情に流されて王妃を追い払った事をちょっぴ り後悔し、気落ちしたクセルクセス王の失意が伝わってくる。とは言え、処分を取り消 す事は、王の権威を失墜させるので出来ない。バカな事をしてしまったなと思っていて も素直になれず、保身のためにつまらない意地を張ってしまう。素直で謙虚な人間であ り続けることは本当に難しい。
2章では、素直で謙虚なエステルが登場する。エステルは、両親を亡くした後、親戚モ ルデカイの養女として育ち、クセルクセス王の新しい王妃候補者の娘たちの一人に選ば れる。娘たちが一人ずつ順番に王のところへ入って行く時、娘の願うものはみな与えら れるが、エステルは何一つ求めなかった。このエステルの無欲さ、慎ましさ、謙虚さ が、彼女を知る人たち皆から好意を受け、王にも見初められてペルシャの王妃に選ばれる。
「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的 なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないもの を持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるもので す。」(ペテロの手紙第一:3章3-4)
王妃に選ばれた後も、傲慢不遜であったり、おごり高ぶる事なく、養父の言いつけを忠 実に守り抜き、王の暗殺計画も阻止するエステル。
有名になったり高い地位についたりする事で、周りからチヤホヤされ、勘違いしてしま う人間が、世の中に溢れかえっている。私もその一人だ。物事が順調に進んでいる時、 波に乗っている時、それが自分の力だと錯覚しそうになる。
聖書の中で女性の名前が書名となったのは、エステル記とルツ記の2つのみ。エステル がその一人である理由がわかるような気がする。ユダヤ民族救済のための神様のプラン に用いられ、その務めをしっかり果たしたエステルの誠実で従順な生き方を、見習いた いと思った。
祈り:
愛する天のお父様。今日も聖書を通して「主に喜ばれる生き方」の指針が示されまし た。感謝します。恒心をもつ神の子として、おごり高ぶる事なく、神を畏れる純粋な生 き方ができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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