エステル記1章
エステル記は、エズラ記、ネヘミヤ記に続いて、捕囚期に書かれた書です。内容は、スリリングで手に汗握るようなシーンがたくさん出てきます。
時は、ペルシャ帝国の時代です。クセルクセス王の王妃ワシュティが王の命令に背いために、王の前に出てはならないという勅令が出されることになりました。ワシュティは一生幽閉されることになったでしょう。
現代の感覚で読むと、王の身勝手さと男尊女卑の社会に、どうにも納得の出来るものではありません。しかし、この王妃ワシュティが退けられたことで、代わりにエステルが王妃となり、このエステルの命を懸けた行動によってユダヤ人は民族滅亡の危機を回避することが出来たのです。
聖書に聴く、それはこの御言葉に込められた神さまからのメッセージを受け取ることです。そのようにエステル記に聴くと、この書のメッセージは、ユダヤ人を抹殺しようとする暗闇の力に対する勝利であることが分かります。
ユダヤ人を抹殺する目的は、この地上における神の計画を阻止することにあります。ユダヤ人は、その歴史の中で、ナチスによるホロコーストに代表されるように、幾度となく民族滅亡の危機を経験しています。
この1章は、一見すると、王の身勝手さや、男尊女卑が気になりますが、そのような王の気質や、文化、社会状況を超えて、エステルを王妃にするための神の計画は成されているのです。
私たちの生きる現代においても、まったく神とは無関係と思える社会、文化、人の考えであっても、それらさえも神は用いて、ご自身の計画を成し遂げられていくのです。
まさに今起こっているイスラエルとハマスの紛争においても、私たちは「エルサレムの平和のために祈れ」(詩篇122篇6節)の御言葉に導かれて祈る者でありたいと思います。
そして、この混沌とした社会にあっても、計り知れない神の働きが隠れたところで成されていることに目を留めていきたいと思います。
祈り
天の父よ。神に選ばれた民であるユダヤ人が、その暗闇の力から守られますように。またハマス側にも主のあわれみが注がれて和解と平和が訪れますように。私たちが、歴史を支配し、今も計画を成しておられる主に焦点を当てていくことができますように、どうぞ導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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