旧約聖書 歴代誌第二 20章
『賛美の力』
●語られたこと
賛美と聞いて何を思い浮かべるだろうか?主を褒め称える歌?それだけでは無い。悲痛な心の叫びをのせて賛美して良いのだと言う事をこの章で示された。
ユダの王、ヨシャファテの時代。モアブ人、アンモン人の大群が向かって攻めてきた。またか・・・と思う。しかしそれは過去の王たちが行った過ちゆえに神様が下された罪の刈り取りによる出来事。自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければいけない。そんな事をヨシャファテに言ったらきっと、「なんで僕が先祖の罪を刈り取らなければいけないの!」と言うかもしれない。
全くその通り。人生において自分が何をしたんだ?と思うような仕打ちに合うことは多々ある。しかし、実は分かっていないだけかもしれない。知らず知らずのうちに、小さな罪の種を蒔いてそれが神様の時に大収穫の日が来る。良い種だけを撒けるなら良いが、悪い種も日々蒔いている私。ヨシャファテも歴代誌の記録の中には無いが、小さな罪の種を蒔いていたのかもしれない。それを気づかされた。
しかし、そんな時に私たちが何をすべきかがここには示されている。賛美だ。
「彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言う為であった。『主に感謝せよ。その恵はとこしえまで』彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。(21-22節)
彼らは、父なる神様は私たちを愛し、私たちを滅ぼさない、と言う信仰があった。堅い信仰のゆえに、信じて祈り、絶体絶命の中で主にこい願った。悲痛の叫びでもある賛美。それを主は聴いてくださると言う事を示された。
イエス様の受難のゆえに私たちは主に赦された存在。「これらすべてにおいても、私たちを愛して下さった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」(ローマ人への手紙8:37)異邦人である私にも愛を注ぎ、守ってくださる父なる神様とイエス様の存在によって、今私は神様の御計画の中の豊かな人生を歩ませていただいている。何と有難いことか。今日も忘れること無く歩みたい。
●祈り
天の父なる神様。今日も沢山の気づきをありがとうございます。喜べる時も、悲しい時も私はこれからも賛美します。あなたに向かって賛美します。この心がブレる事ないよう毎日強めてください。
主、イエスキリストの御名によってお捧げいたします。アーメン。
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