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2021年4月4日 ディボーション

Ⅱ歴代誌19章


 18章においてヨシャファテは、北イスラエル王国のアハブと同盟を結んで戦いに出て行った。しかしアハブは、神に逆らい、預言者を迫害する、悪い王であった。そのアハブと組んだことで、ヨシャファテは、先見者エフーから「悪者を助け、主を憎む者を愛するというのですか。」(2節)と指摘されるのである。

 この事の発端は、18章1節にあるように、アハブと姻戚関係を持ったことにある。策略家であるアハブにまんまと利用されたのだ。私たちは一つなのだから一緒に戦おうと仕向けられてしまったのだ。(18:3)

 しかしヨシャファテ自身は、真実に神を求める王であったので、神は彼を王にとどめてくださった。ヨシャファテは、この神の憐みのゆえに、この出来事の後、いよいよ真実に神を求めていくようになる。

 巨視的に概観すると、ヨシャファテは良い王であった。しかし、一つ失敗してしまった。その失敗を赦されたことで、いよいよ主を求めていく王になった。という流れである。


 1節に「ユダの王ヨシャファテは、無事にエルサレムの自分の家に帰った。」とある。アハブは戦死したが、ヨシャファテは無事であった。

 この「自分の家に帰った」という言葉は、彼の本来のいるべき所に帰ったということだ。アハブと戦いに出ていった戦場は、本来彼がいるべき場所ではなかった。神の御心の場所ではなかったのだ。しかし、彼は自分の家に帰ることが出来たのだ。帰る家がある、それも神の恵みである。

語られたこと

 誰しも、失敗することがある。しかし、その失敗が失敗のままで終わってしまうか、祝福に変えられるかは、その失敗の中で神の恵みを経験するかどうかで決まるのだと思う。

 ヨシャファテは、戦場から「自分の家」に帰ることが出来た。生きて帰って来れたことに、神の恵みを見たのだろう。この恵みの経験のゆえに、この後彼は、いよいよ真実に神を求め従って行ったのである。

 私も、どんな中にあっても、そこに置かれている神の恵みを見出すものでありたい。 

祈り

 天の父なる神さま。私たちが、たとえ失敗しても、神の恵みのゆえに立ち上がらせてくださることを感謝します。この恵みのゆえに、いよいよ主を愛し、喜びをもって主に従う者でありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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