歴代誌 第二 31章
『喜びとともにささげる! ~神の祝福の原理~』
ヒゼキヤ王によって、民が神の民へと整えられていく。この章には、偶像が徹底的に打ち砕かれて、まことの主へと礼拝をささげていく神の民の姿がある。
それは「ささげもの」を携えて、宮へと集まる民の姿だ。ヒゼキヤ王の命令によって、この民は何の躊躇もなく、喜びとともに自分の持っているものをささげるために宮へと携えていった。
それだから、宮には、いくつものささげものの山が積み上がったというのだから、すごい。ヒゼキヤ王のこの命令というのは、そもそも祭司とレビ人が、主の律法に専念するために、民に呼びかけたのだった。この王の呼びかけに、民は応えて、進んでささげたのだった。
その、ささげられた奉納物の山を祭司の長アザルヤは、このように王に説明した。
「人々が奉納物を主の宮に携えて来ることを始めてから、食べて満ち足り、たくさん残るようになりました。主が御民を祝福されたので、その残りがこんなにたくさんあるのです。」10節
これこそ、神の祝福の原理である。ささげたら、ささげるだけ、あり余るほどに満ち足りるのだ。それは、主がその御民を祝福されるからに他ならない。
私は、毎週の礼拝で献金の時に朗読される箴言のみことばを思い出した。
「あなたの財産で主をあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。
そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。」
天のお父様、
あなたから与えられたすべての恵みを感謝します。31章で民が喜びとともにささげものを携えて、宮へと入っていった、その「ささげる喜び」を私にも与えてください。
そして、あなたの祝福の原理をもっともっと体験させてください。アーメン。
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