歴代誌 第二 29章
『今、私の願いは、イスラエルの神、主と契約を結ぶことです。』-10節-
語られたこと:
歴史は繰り返されるといわれるように、ここでは、父アハズヤに代わってすばらしいまれにみる息子のヒゼキヤが父に代わって成し遂げたことが記されている。
ヒゼキヤは、『イスラエルの神、主と契約を結ぶこと。』と大胆に宣言している。これは、
主に立ち返って、主とともに生きる決断である。ここは、やはり、ヒゼキヤは、父がやってきた諸々の罪の贖いを一生懸命に主に悔い改めをすることであったと思う。
まず、はじめに、父アハズヤによって閉ざされていた主の宮の戸を開いて修理をする。そして、イスラエルの神に香を焚き、全焼のささげ物を捧げる。レビ人はダビデの楽器を手にし、祭司はラッパを手にして立った。賛美の中に主を呼び求めるすべての民の姿がそこにあった。ヒゼキヤは民と心を一つにして主を賛美して、主を喜びとした。そこには、心から主を待ち望む一人一人の思いがあったことを見させられた。
ヒゼキヤの神を礼拝する強い姿勢に心動かされた。礼拝とは、ささげることである。砕かれた、悔いた、真の心をもって礼拝をささげることがここで強く示された。礼拝、賛美、ささげること。ある牧師が、教会の中で賛美のなかに神の栄光が満ち溢れているのを感じた時にメッセージを語るのをやめて、このままずっと賛美の中に浸っていたい気持ちにさせられたと言われていたのを思い出した。
旧約聖書をデイボーションしていて、各章にでてくる王達の生きざまを通して、神様は私達に常に何かを語っておられることが示される思いである。ある時は、他人をみてわが身を振り返るという格言があるように、歴代誌に登場してくるいろんな人々の生きざまはまるで自分自身に匹敵するところが多々にある。神様は、私達にその人々の生き方をとおして、良いところ、悪い所をみて神に近づけるように、いや、神を知ることができるように私達を訓練しておられることをしめされた。神は、私達にこの旧約時代の人々の生き方を通されて、何が義にかなった生き方なのか、神は私達を義にかなう生き方に導こうとされていることを思わされた。
祈り:
愛する天の父なる神様、あなたの御名をこころから賛美します。
主に正しく仕えていくことができるように、主を心から礼拝して、主を待ち望むことができるように導いて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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