1歴代誌20章
ダビデは、連戦連勝。18章では宿敵のペリシテ人も征服したことが記されている。この20章においては、アンモン人を打ち滅ぼしたのだが、1節に「しかしダビデは、エルサレムに留まっていた」と記されている。これは、Ⅱサムエル12章1節に「ダビデはエルサレムに留まっていた」(11:1)と同じ場面のことである。
まさに、このエルサレムに留まっていた時に、ダビデはバテシェバと姦通し、その夫ウリヤをアンモン人の手を借りて謀殺したのだ。
一見、勝利の絶頂期のように見える中に、ダビデがエルサレムに留まっていたことが記されているのだ。歴代誌は、バビロン捕囚の民に、ダビデのような真の礼拝者としての姿を取り戻すことを目的に書かれているので、あえてダビデの過ちを記すことはしなかったのだろう。
しかし、ここに挿入されているたった一言が、逆に事の重さを語っているように思える。いるべき場所にいなかった、この事が大きな問題を引き起こしてしまったのだ。ダビデは戦場にいるべきだったのだ、エルサレムに留まるべきではなかったのだ。
私たちも、いるべき場所にいないと、サタンに隙を設けることになることがある。神が導かれている所にいることがとても大切だということだ。
語られたこと:
私は、いるべき場所にいるだろうか。神に導かれている所にいるだろうか。留まっていてはいけない所に留まっていることはないだろうか。考えさせられた。
祈り:
天の父なる神さま。私たちが、留まってはならない所にいたら、そこから離れることができますように。主に導かれている所に、いつもいることができますように、どうぞ守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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