1歴代誌13章
この章には、衝撃的な事件が記されている。
ダビデが、その王位を確立した時に、真っ先にしたことが神の契約の箱を運び上ることだった。ここにダビデの信仰者としての姿勢が現れている。彼にとって大切なことは、何よりも神の臨在なのだ。
契約の箱は、神の臨在の象徴であり、その箱の存在を通して、神が私たちの神であり、私たちは神の民であることを確認するのである。そう考えると、この契約の箱がなおざりにされたままでいいわけがない。
ダビデは、契約の箱を安置するために幕屋を建て、賛美の歌い手を任命し、準備万端にして契約の箱を運び上ることにした。
しかし、である。契約の箱を運び上る途中で、傾いた箱を手で押さえたウザが神に打たれて死んでしまったのだ。それを見たダビデは恐れてしまい、契約の箱を運ぶのを止めてしまう。
その後、ダビデは、契約の箱の扱い方に間違いがあったことが分かり、律法に記されている方法で箱を運び直すことをしたのだ。(15:2)
ウザが可哀そうだ、善意から箱が落ちないように守ろうとしたのに主に打たれてしまうなんて。しかしこれは、そのようなレベルの話ではない。神の臨在に触れるというのは、そのような事なのだ。
私たちは今、礼拝の中で、様々な場面で神の臨在に触れている。しかし本来、それは畏れるべきことなのだ。しかも、イエスは、ご自身の方から手を伸ばして人々に触れてくださった。それは考えられないことなのだ。
本来、聖なる神の臨在の御前では、間違いがあったら死に値するのだ。しかし、事実、間違いだらけの私たちは、生きている。それは、ただただイエスの十字架の贖いがあるからだ。もし十字架がなければ、私たちは、神の臨在を楽しむことが出来るだろうか。
神の臨在に対する畏れ(恐れではない)を持ちつつ、その臨在を楽しむものでありたい。
語られたこと:
私たちにとって、神の臨在は喜び、楽しみ、平安そのものである。イエスの十字架の贖いのゆえに、私たちは神の御前で、神と共に生きることが出来るようになった。これほどの恵みがあるだろうか。ただただ感謝しかない。
祈り:
天の父なる神さま。私たちに恵みとして与えられた神の臨在を、喜び、楽しみ、その中に生き続けることが出来ますように。今日も、主の恵みに感謝を捧げます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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