歴代誌第一 10章
『クリスチャン倫理』
●語られたこと:
最近NHKで興味深いドラマがあって見続ている。「これから倫理の時間です」と言う高校生の倫理の授業を中心にそれぞれが抱える問題と哲学者、知恵者と言われた先人達の残した言葉を用いてどう生きるべきかを問いかけるドラマ。話の舞台は高校生活だが、内容はどんな年代にも、住まう土地にも関係する内容。もしチャンスがあったら皆さんに見ていただきたいドラマである。しかし、私はキリスト者として見ている。神様だったらどうするか? イエス様はなんと言うか?
倫理とは「人として守り行うべき道」とデジタル大辞林は述べている。善悪の正邪、判断において普遍的な基準となるもの、道徳、モラル、とも述べている。キリスト者である私の倫理は父なる神と御子イエス様に語られた御言葉。ありがたいことに、一日1章では1年で終わらないくらい沢山の御言葉が私たちに与えられている。神様には朝昼晩、食べ物を食べるように、御言葉を食べなければ、私たちがすぐに流されて主の御心がわからなくなる事を予測していらっしゃったのだと思う。
「このようにサウルは主の信頼を裏切ったので不審の罪のゆえに死んだ。」「主に尋ねる事をしなかった」と14節に記されている。わざわざこれまでの福音書でも沢山語られているがあえて記したのである。それだけ、私たちが毎日主に聴き従い、主の御心を行うことが求められているのだと思う。
最近よく、神様に試される。毎日のように悪魔の囁きによって唆された人の攻撃を喰らう。心折れそうになる事もある。しかし私は、主と言うトレーニングコーチによって心を鍛えられているので最近はブレなくなった。新聞や雑誌の占い記事を見ることも無い。神社のクジも引かない。引く必要がない。なぜなら私の心には父なる神様と御子イエス様の教えと言う倫理の木とその枝が広がっているから。
日本フリーメソジスト桜井聖愛教会牧師、大澤恵太先生が数日前のクラブハウス内でのレクチャーにて「聖書に立っているクリスチャンとしてどう考えるかが大切」と語っておられた。
私たちは目の前に大きな大木である父なる神様と御子イエス様がいる。この大木に寄り添う時、主は必ず私たちの心に語ってくださる。神の愛、いつでもどこでも注がれる私たちは他の倫理にブレる必要がない。こんな恵み他にはない。
●祈り:
天の父なる神様。私を沢山の人々と繋がる場所へ連れて行って、学びの時を与えてくださりありがとうございます。これからもあなたの教えを私の倫理として歩みます。どうぞいつも私にすべきことを語ってください。あなたの御心がわかる人格にしてください。心折れないようにどうぞあなたが支えてください。
イエス様のお名前によって御前にお捧げいたします。アーメン。
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