旧約聖書 歴代誌 第一 3章
『神様の御計画、現在進行中』
●学んだこと、語られたこと:
一昨日から歴代誌に入った。サムエル記と列王記とほとんど一緒じゃない。これってコピーですか? と思う方もいらっしゃるかもしれない。ところがそんなに単純ではない。
サムエル記、列王紀が預言者によって王宮での出来事にフォーカスした政治的歴史書を書いたのに対して、歴代誌は祭司エズラによって書かれたと言われている。タイトルはギリシャ語だとパラレイポメナと言って省略を意味するらしい。
歴代誌と2つの歴史書を比べると、沢山省略されている箇所がある。かいつまんで言うとダビデとダビデファミリーの黒歴史はカットされている。なぜなら、祭司のエズラにとってそれは最重要箇所ではなかったから。彼は祭司と言う視点から神殿建設に対する事を詳細に記している。ダビデ(1節)とソロモン(5節)によって最初の神殿が作られたのだから、彼にとっては素晴らしい王だったのだ。このように、もう一度同じ箇所を書きつつ、筆者の追記が施されいてる記入方法をを再記述の法則と言うらしい。
詳しく説明はしていないが、有名なバテ・シェア(5節)、タマル(9節)の名前も残されいている。ダビデファミリーの黒歴史の重要人物達。しかしその黒歴史から私たちは学んだ事がある。神様は何度も人々の罪をお許しになる。そして祝福してイエス様の誕生へと繋がる。
神様の御計画は私たちの想像を超える時間を費やす。神様の御計画はまだまだ続いているのだ。先人達によって書き残された歴史書から神様が確かに私たちに働かれ、幸福へと導かれたことが記されている。それも壮大な時間の中で。「主の御前では、一日が千年のようであり、千年は一日のようです」(ペテロの手紙 第2 1:8)と語られている。どんな未来を神様が御計画されいてるのか。コロナウイルスが天然痘のように撲滅される日も神様の御計画にあるのであろう。
それからディボーションをこうやって皆にシェアすることを反対する方もいらっしゃる。しかしシェアしてもしなくてもどっちでも良いのです。なぜならサムエルとエズラのように立場や見ている方向が違う。違う表現方法があっても良いのです。なぜならそれは、それぞれの人々が神様からの啓示によって立たされたのだから。「みんな違ってみんないい」金子みすずさんが詩にに綴っています。神様にとってどんな罪人でも従順に悔い改める事により天国への道が開かれます。皆それぞれの立ち位置で、神様に用いられ、神様の愛を伝える者と鍛えられていく。神によって皆家族、しかし餅は餅屋。境界線を超える必要は無い。
●祈り:
天の父なる神様。いつも沢山の恵み、お導き、新しい出会いをありがとうございます。あなたの歴史書の中の一人としてどんな役割を私に与えたのか、いつか教えて下さい。先人達のように黒歴史があったとしても従順に神さまの元に自分を表現できる私にして下さい。私をあなたの子と呼んでくださる事、心から感謝しています。イエス様のお名前によって御前にお捧げいたします。アーメン
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