旧約聖書 列王記第二19章
「主よ、御耳を傾けて聞いて下さい。主よ。御目を開いてご覧ください。」16節
●語られたこと:
窮地に陥った時、人はどこに頼るのか? アッシリアの王に降伏せよと言われた、ユダの王 ヒゼキヤ。「彼は、すべて祖父ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った」(18:3)とあるように、ヒゼキヤはそんな絶体絶命の時に主の前で祈った。(15節)そこには主に絶対的な信頼をおくヒゼキヤの姿を見ることができる。
はるか昔、私がまだイエス様を知らない頃。絶体絶命まではいかないが大変な事は沢山あった。今思うと、イエス様を早く知っていればヒゼキヤのように祈れたのではないだろうか? そうすれば余計な心配で振り回され、余計な行動せず、不眠にもならず今日まで生かされていたかもしれな・・・と思うと、遠回りの人生だった事に気付かされた。
困った時の神頼み、と日本で言われることがある。まさにその通り。困った時にホームベースのような場所に戻ってくる私。それがイエス様の父である神様の元。帰れる場所があると言うことはなんと心強い事か。以前は一人で悩んで泣いていたことも、今はヒゼキヤのように問題があると、神様の前に包み隠さず話せるようになった。そのようにできるようになったのも、神様が私を見捨てず、今日まで養ってくれたから。心からありがたいと思う。
神様に打ち明ける? え? とクリスチャンでは無い人に説明すると、? の嵐が帰ってくる。しかし私が信じる神様はいつも聴いてくださり、私たちがどんな事をしているのか、ひどい目にあわされているのか見ていらっしゃる。そして、報いてくださる。沢山の恵を頂いたからこうやって神様を信じて過ごすことができる。ヒゼキヤのように窮地の時はもちろん、日々の感謝も神様に聞こえるように、見てもらえるように表現していきたい。
●祈り:
天の父なる神様。今日も沢山の学びをありがとうございます。あなたを信じて、あなたに向かって心の中を開け放す時、あなたは必ず私たちの声を聴き、見ていて下さいます。心から感謝いたします。どうぞこれからもヒゼキヤのようにいつもあなたの元に立ち帰れる強い心、揺るがない心を私に与えて下さい。そして、あなたが聴いてくださる神だと言うことを知らない人に貴方の愛を述べ伝えることができるよう、力を与えて下さい。主イエスキリストのお名前を通して御前にお捧げいたします。アーメン。
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