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2021年12月6日 ディボーション

hccnichigo

詩篇第四巻 96篇


『新しい歌』


 レビ人によって運び込まれた神の箱が、ついに、ダビデの張った天幕の真ん中に置かれた。ダビデは、全焼のささげ物と交わりのいけにえを捧げたあと、主の御名によって民を祝福した。神の契約の箱の前には、賛美に用いられる琴や竪琴、シンバル、ラッパを携えたレビ人による賛美チームが常にいた。

 第一歴代誌16章に、その時の様子が詳しく書かれているが、この時、契約の箱の前にて、毎日の日課として、常に箱の前に仕えよとの命を受けた人は、アサフを含む12人である(1歴16:5)。しかし、賛美が終わると、この12人のうちのオベデ・エドムという人から更に68人の兄弟たちが、箱の前に使えるよう命じられている(1歴16:38)。つまり、合計80人の人が、毎日、主を褒めたたえるために、賛美するために神の箱の前に仕えたのである。

 この光景を想像する時、キャンドルライトサービスの光景を思い出した。パンデミックになる以前は、毎年、キャンドルライト礼拝が教会では持たれていた。一番感動的なのは、集まった会衆全員で賛美する時である。その時、皆の心は喜びにあふれ、礼拝堂内には神の栄光があふれる。神の臨在を体感することができるひとときである。私たちが捧げる賛美を、神が喜んでおられると体感した人は、礼拝後、感動して泣いている。

 神の箱がダビデの町に戻った時は、そのような礼拝が、神の箱の前で毎日行われていたのである。キャンドルライト礼拝のような礼拝が毎日である。なんとも羨ましい日々である。

 礼拝とは、毎日、神に賛美を捧げることであると学んだことがある。毎日聖書を読んで、みことばをいただき、祈りを通して主と会話することが礼拝である、と。ただし、昨日の歌は捧げてはいけない。昨日はすでに過ぎ去ったからである。神は「新しい歌」を喜ばれる。それは、今日新たに与えられた新しい思い、新しい哀れみの心、新しい必要である。


「新しい歌を主に歌え。全地よ 主に歌え。」(96:1)


 旧約時代に与えられた新しい歌とは、メシヤ(救い主)の到来であった。しかし、イエス・キリストを救い主とし、人性を持った神として、この世に来られたことを信じる新約の時代に生きる私たちへの「新しい歌」とは、イエスの再臨である。そして更なる「新しい歌」は、イエス再臨後の大患難時代に歌われる(黙14:3)。「新しい歌」はイエス・キリストを主と信じた人たちに与えられる賛美である。明日を見ることが許されない私たちには「新しい歌」が必要だからである。

 私は、一人でも多くの人に、「新しい歌」を届けたいと願う。特に、終末を思わせるような現在の状況、また毎日のように見る、小さな見出しではあるが、「人身事故のため」というニュースなど、滅びに向かう人に救いの手を差し伸べるため、何を始めればよいのか、みことばの導きを強く祈る毎日である。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。


祈り:

 主よ、あなたの愛する御子を、私の罪のためにお与えになってくださったことを、心より感謝しています。「新しい歌」を一人でも多くの方、特に、日本にいます年老いた母、また姉妹たちに伝えたいと日々祈り、求めております。どうか、あなたの時に道が開かれ、導かれますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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