2021年12月4日 ディボーション

詩篇第四巻 94篇


『知恵者ホクマー』


 小林和夫先生の『詩篇講解』の絶賛がとまらない。以下、今日のディボーションは小林先生の受け売りです。

 旧約の時代、イスラエルには神の知恵を語って導く教師 ”ホクマー”(ギリシャ語で知恵者の意味)がいたのだそう。祭司が行う儀式や、預言者が語る言葉は難解なので、一般の民に分かりやすく語る仲介者がホクマーだった。このホクマーたちから「ヨブ記」、「詩篇」、「箴言」、「伝道の書」、「雅歌」などの知恵文学が生まれてきたのだという。

 この94篇は知恵の教師ホクマーの嘆きの歌と紹介した上で、小林先生は”神の知恵”について、こう解き明かしてくださった。引用します。


〜〜知恵者たちが教えた知恵は、ギリシャ的な考え方や、あるいは1+1=2といったこと、あるいは太陽が東から昇って西に沈むというような知識ではありません。箴言1章7節に「主を恐れることは知識のはじめである」という言葉があります。主(神さま)を恐れることを教えたのであります。すばらしいことです。親が子に、子が孫に、孫がひ孫に‥‥というように、神を恐れることを教えました。神を恐れることが身につくことが知恵であると彼らは確信していたのであります。〜神さまを「恐れる(畏れる)」というのは、奴隷などが主人を恐れるというような「恐怖」の恐れではなく、神さまを神さまとして畏れかしこむ、ということであります。〜〜


 すべてのことは、神さまを畏れかしこむことからはじまる。当時のホクマーたちが、神さまの知恵の真髄を看破していたことに感動し、それをこの詩篇94の講解で私たちに教えてくださった小林先生にも感動した。信仰のスタートラインをきっちり引き直してもらった。

 しかも小林先生は、神さまを畏れかしこむことを理解するのではなく、身につけよう、我が身の一部としようとおっしゃる。からだの軸、人生の軸としてこその知恵。その通りだと、アーメンした。

 小林先生の文章は、現代にホクマーという職業はないけれど、聖霊さまが神さまの知恵を惜しげもなく示してくださる、と結ばれている。

 確かに聖霊さまはパーソナルヘルパーとして私たちに道を示してくださる。けれど小林先生や関先生などのパスターは、牧会をするということは、現代版のホクマーなんじゃないかな。

 尊敬できるホクマーがそばにいてくれて感謝!


 神さま、信仰のスタートラインを再度示してくださってありがとうございます。あなたを畏れかしこむことを忘れて、突っ走ってしまうことがあります。頭だけで頷き、からだで実行しないこともあります。悔い改めます。私をあわれみ整え導いてください。

 イエスさまのお名前で祈ります。アーメン

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