詩篇第四巻 93篇
うつむかず、まっすぐ前を見据え、背筋をピンと伸ばし、落ち着いていて物事に動じず、おごそかで貫禄があり、昂然と胸を張り、毅然とした態度をつらぬき通す。
威風堂々とした主の姿をイメージするとき、自分は圧倒的に小さい存在であることを実感する。
この93篇では、主の威厳を賛美している。
「主こそ王です。威光をまとっておられます。主はまとっておられます。力を帯とされます。まことに 世界は堅く据えられ揺るぎません。」(1節)
公園にあるシーソー。向こう側に神さまが座り、こちら側に自分が座る。
自分の位置を下げると、神さまの位置が上がる。逆に、自分の位置を上げると、神さまの位置が下がる。
私は器の小さい人間で、長い列に並んでいる時に横入りされるとカチンとくる。
すぐに心の中で、相手に対する裁きが始まる。たかが順番を抜かしたというだけで、その人を全否定したくなる高慢な自分。
神さまの存在を無視する。一番高い所にいるのは自分だと勘違いしてしまう。
最も高い所におられる方は、全てを支配される主である、と聖書に書いている。
「大水のとどろきにまさり 力強い海の波にもまさって 主は力に満ちておられます。いと高き所で。」(4節)
「いと高き所」 という言葉は、聖書の中に何度もでてくる。
天の父は、いと高き所におられる。
イエスさまは、いと高き所から地上に降りてこられ、人としての生涯を歩まれ、十字架の死によって最も低い所まで下がった。
下がって下がって下がりぬかれ、高慢な私とは正反対の生き方を見せてくださった御子イエスさま。
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ14章11節)
「‥‥生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(第1テサロニケ4章17節)
私はなにがなんでも上に引き上げてもらいたい。謙虚な人間になれますように。
祈り:
愛する天のお父様。あなたは何があっても揺るがず、力強く威厳に満ちた私たちの主です。いと高き所で、いつも私たちを見守ってくださり感謝します。謙遜な気持ちで待降節を過ごせますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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