2021年12月29日 ディボーション

詩篇第五巻 119篇


「主よ 私の叫びが御前に近づきますように。あなたのみことばのとおりに 私に悟り

を与えてください。」(169節)

 誰でも災難に遭うのが分かっているのに、それに向かって進むのは嫌だ。しかし信

仰によって立つと言うことは私の不安は二の次にして、主が守ってくださる事を信じて

突き進むことにあるのだと思う。

 『前科者』と言う新米保護師のドラマを見て、同じ社会奉仕をしていた祖父の事を

思った。母によると第二次世界大戦前から祖父は酒屋を営んでおり、少年院から出てき

た少年たちを雇っていた。そんな時、大戦中に長男(私の叔父)は特攻隊として亡くな

り、それを機に祖父は意気消沈。弱目に祟り目。ヨブのように不幸は重なる。保護して

いた少年達が売上金を持ち逃げして逃走し酒屋は閉店に追い込まれた。


 聖書全体の中で一番長い1篇とされるこの119篇。ヘブル語のアルファベットの頭文

字から始まる22の詩、そしてそれぞれの詩は8節で表現される。律法に関する言葉、

みおしえ、さとし、戒め、さばき、定め、道、などと主は表現を変えながら、この詩篇

全体を通して主の教えに従うことの大切さを私達に語ってくれる。アダム、ノア、モー

セ、ダビデと歴史の中で主が驚くばかりの御業をなされた事と共に私を導く。その歩み

は決して容易に進めるものではなかった。試みの中の不幸をどう乗り越えるのか。いつ

も主の御声を喜びとして歩むことはチャレンジだ。あのヨブでさえ神に暴言を吐いた。

 祖父の人生も主に試みられたのであろう。祖父は何を思い、どう乗り越えたのか。晩

年の祖父はいつも笑顔で私と遊んでくれた。何が彼に平安を与えたのか聞いてみたかっ

た。彼は私が小学2年の時に天に召されている。今頃は戦争で亡くなった長男、水難事

故で5歳で亡くなった次男と楽しく私たちを見下ろしているのだろう。そしてその場所

は父なる神の園であってほしい。

 私の日々の生活も同じ。嫌な事からヨナのように逃げても主は追いかけてくる。何故

なら、人間の目線ではハイリスクだとしても、その先に主のご計画、私の幸せがあるか

ら。この詩篇のディボーションもチャレンジだ。担当じゃなかったらあっさあり読み進

めてしまっていた事だと思う。しかし主は私にそこに留まり考える時間を与えてくだ

さった。そのように考えられるのは聖霊様の満しが私の心にあるから。キリスト信仰に

至る前は不幸に見舞われると落ち込んでばかりいた。闇の中に光がなかったからだ。


「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハ

ネ1:1)


 律法は神の言葉であり神そのもの、そして闇を照らす光。その御子であるイエス様は

神様の生けるかたち。前科者である私が帰る場所は保護観察官であり、保護師の父なる

神様、そしてイエス様。それ以外に心の平安はない。イエス様の十字架の贖いにより異

邦人の私たちも主の御言葉に触れ、罪赦され、恵みを受けていることを感謝せずにはい

られない。


「主よ わたしはあなたの救いを慕っています。あなたのみおしえは私の喜びです。」

(174節)


 例え現実の世界で不条理の中に置かれているとしても、主からいただく全ての計画を

感謝してスタートできる朝のひと時を感謝したい。なぜなら主が私の心を癒し平安を与えてくれるから。不安定な世の中にあり、この平安が皆の心に与えられるよう、皆が主の愛に気づくよう祈ろう。

 

【祈り】

「あなたのみことばは わたしの足のともしび」(105節)


「私にあなたの仰せの道を踏みゆかせてくだい。私はその道を喜んでいますから」(35

節)


 天の父なる神様。どんな時にもあなたは私と共にいてくださると言うメッセージをあ

りがとうございます。信仰によってあなたの声に聞き従います。どうぞこれからもこの

信仰が続きますよう私の心を強め、鍛え、練り上げてください。

イエス様のお名前を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

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