詩篇第五巻 118篇
詩篇の中には、「メシヤ詩篇」と呼ばれる詩篇があり、118篇は、その代表的な詩篇と言われている。
旧約の時代、特に詩篇が捕囚後に編纂されたと考えると、メシヤ待望の思いは特別に強く意識されていたであろう。この詩篇には、やがて来られるメシヤを待望する信仰が賛美として表現されている。
1節から4節で、主の恵みが歌われている。そして5節「苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。」から始まって、苦しみや困難に対する「救い」が歌われている。14節に「主は、私の力、またほめ歌。主は私の救いとなられた。」21節「私はあなたに感謝します。あなたが私に答え、私の救いとなられたからです。」とあり、主は、救う神であることが明確に告白されている。
そして何と言っても、22節と23節である。
「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」
このことばは、文脈からみると、唐突で、理解し難いことばだ。捨てられた石がメシヤだという意味になるが、その実際の意味が分かった人は、おそらくいなかっただろう。なぜなら今もユダヤ人の多くは、この捨てられた石こそ、十字架にかかったイエスとは理解していないからだ。
このことばの意味は、マタイ21章42節にあるように、新約の光で照らして初めて分かる。
イエスと弟子たちが最後の晩餐をし、賛美をしながらゲッセマネの園に行くが、その時にこの詩篇118篇が賛美されていたと言われている。まさに、イエスご自身が十字架で命を捨てる(捨てられた石)となられたのだ。
十字架の救いは、「私たちの目には、不思議なことだ。」、さらに躓きであり、愚かに見える。しかし、これが神の知恵であり、御心なのだ。
この詩篇は「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」で始まり、そして閉じられる。神の恵みそのものであるイエス・キリスト、この方はとこしえに私たちの救い主である。心からの感謝を主に捧げよう!
愛する天の父なる神さま。十字架で命を捨ててくださった、主よ、あなただけが救い主です。そして賛美と栄光を受けるべき、ただ一人のお方です。すべての感謝と賛美を、主イエス・キリストに捧げます。あなたの恵みはとこしえにあります。ハレルヤ! 主に感謝します! 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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