詩篇第四巻 104篇
詩人は、神の創造された大自然の豊かさ、深遠さを想い、創造主なる神を賛美する。「わがたましいよ、主をほめたたえよ」と、103篇に続き、「わがたましい」の賛美を捧げる。
それにしても、この詩の美しいことよ。原文で読めたら、もっとこの詩の美しさを味わうことが出来るのだろうが、日本語でも十分に美しい。
「満ち足りる」という言葉が、13、16、28節に3回記されている。この地は、神の良いもので満ち足りている。
神が天と地を創造されたとき、第一日から第五日まで、その日ごとに「神は、良しと見られた」と繰り返される。そして最後の第六日には「神は、ご自分が造ったすべての物を見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1:31)で締めくくられている。
神の創造された天地は、「非常に良かった」のである。私たちは、この大自然を通して、神への賛美を新たにする。
しかし現在、この大自然はどうであろうか。地球温暖化の影響によって、災害は飛躍的に増えている。それは今に始まったことではない。人類はその繁栄と引き換えに、自然を破壊してきた。地球が悲鳴を上げている。
まれに、キリスト教の教えが環境破壊の元凶だと言う人がいる。それは、神が人間にこの地球の管理を任せたので、キリスト教の人は自然を好き勝手に破壊するのだというのだ。それに対して東洋では、自然と共存するという思想がある。庭園を見れば、その違いは一目瞭然だ。西洋の庭園は、人間の好みの形に整える。曲がっていれば真っすぐにする。対して東洋の庭園は、出来る限り、自然のままを大切にする。曲がっていれば、曲がったままの味わいを生かす。
しかし、キリスト教を環境破壊の元凶するのは違う。地球の管理を任された人間が、神から離れ、自己中心になり、果てしなき欲望を満たすために環境を破壊してきたのだ。すべては、人間の罪から生じたことだ。
私たちは、神の創造されたこの地球を正しく管理し、この詩篇に描かれているような、美しい自然を保っていきたいと思わされる。環境破壊の原因も突き詰めれば人間の罪にある。イエスの十字架の救いは、私個人の救いに限らず、地球全体の環境の癒しにもつながっていくのだ。
天の父なる神さま。あなたが造られた天と地を感謝します。私たちは十分な管理者ではありませんでした。願わくば、十字架による罪の赦しを得て、良き管理者としての使命を果たしていくことができますように。私たちを助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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