詩篇第四巻 100篇
私は機能不全家族の中で育った。物質的にはかなり裕福な家庭だったが、家族の精神は崩壊していた。暴力、強制、罵りと非難ばかりで、憩いと団らんはなかった。
聖書を読むようになり、私は私のものではなく、神様のものなのだと知った。糸の切れた風船のように、行き場を失って浮遊していた心は安定した。神様は、糸をしっかり握ってくださり、その手を絶対に離さないという確信をもてた。私という人物の所有者である神様のために、自分を大切に扱わなければ、と思った。
「知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。」(3)
私は神様に造られ、神の家族の一員だと知ったことで安堵した。不思議なことに、両親に対する感謝の心が芽生えた。育ててくれてありがとう、と思えるようなった。その気持ちを言葉にして父と母に伝えることは、まだ出来ていないのだけれど。
「感謝しつつ 主の門に 賛美しつつ その大庭に入れ。主に感謝し 御名をほめたたえよ。」(4)
「感謝」という字の意味を、漢和辞典で引いてみた。
「感」は、外部の物や事に接して、心が深く動くこと。
「謝」は、お礼やお詫びを相手に伝えること。返礼すること。
つまり感謝とは、相手がいてこそ生まれる行為。人と人の間に生かされる私たち人間に、神様がそなえてくださった表現力であり、素晴らしい恵みのひとつだと思う。
神様は、私たちを造ってくださっただけではなく、恵みと愛を与えてくださる。
私たちが、神様に何かを与えることができるとするなら、それは、感謝だけ。
心の中で思っているだけでは感謝にはならない。歌、踊り、楽器、言葉を使い、私たちの羊飼いである主に向かって、喜びと感謝を伝えていきたい。
祈り:
愛する天のお父様。私たちに尊い命を授けてくださり感謝します。 私たちはあなたを喜び、あなたの恵みと愛を感謝します。今日も1日、私たちに寄り添ってください。 主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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