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2021年11 月25日 ディボーション

詩篇第三巻 85篇


“Righteousness Looks Down from the Sky”

 

 詩篇85篇は、コラ人(コラの息子)による賛歌です。コラ人とは、民数記の中でモーセに反抗した人物とされています。「コラの息子」という言葉は、直訳すると「子孫」という意味です。また、第1歴代誌6章33節に記されているように、預言者サムエルも有名な「コラの息子」です。

 詩篇85篇は、神に対しての訴えから始まります。それは、神がご自分の民に怒りを持っていなかった時のことを思い出してくださいという事です。

 その頃神は、1)ヤコブの祝福を回復し、2)神の民の罪を赦して覆い、3)神の怒りを収めてくださいました。

 そしてこの詩篇では、私たちの救いの神に3つの質問をしています。1)永遠に怒られるのですか、2)私たちへの怒りを代々まで長引かせるのですか、3)二度と回復をさせないのかですか。

 詩人は、「ヤハウェ」という聖なる名前を使って、神の揺るぎない愛を示し、神の民に救いを与えてくださるように懇願します(7節)。

 

 次に、詩人は自信を持って、ヤハウェが何をしてくださるかを大胆に宣言します。神は「.... しかし、彼らが愚かさに立ち返らないように」(8節)。この節は、ヤハウェがソロモンに語ったことを思い起こさせます。「もし、わたしの名で呼ばれるわたしの民がへりくだり、祈り、わたしの顔を求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしは天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやすであろう」(第二歴代誌7:14)。

 10節と11節は、神の民に対する神の解決策をさらに明らかにしています。ある学者によれば、これらの節は神とその民との契約関係の内実を明らかにしています。シャロームを維持するためには、神の民は神との契約の一部を果たし、義にかなった生活をしなければなりません。

 契約関係とは、神がすべてを行い、神の民が好きなことをするというものではありません。神の民は自分の役割も果たさなければなりません。そうしてこそ、神は彼らに対する怒りを収めてくださるのです。


 今日、私たちはこのことをどのように適用すればよいのでしょうか? もし私たちが本当に神を愛しているなら、神に忠実でなければなりません。神に忠実であるためには、義にかなった生き方をしなければなりません。

 しかし、私たちは自分の力だけでは神の基準を満たすことができないことをよく知っています。パウロはこう教えています。「私たちのために、罪を知らない方を罪とされ、この方にあって私たちが神の義となるためです」(2コリント5:21)。私たちはどんなに努力しても、神の義に達することはできません。

 しかし、イエス·キリストの義によって、私たちは再び父なる神とのシャロームを取り戻すことができるのです。イエス·キリストは私たちの義です。興味深いことに、11節ではこう明かされています。「まことは地から生え出て、義は天から見下ろします。」(11節)。「地」にいる私たちは、「忠実」でなければなりません。私たちの 「義 」は、自分自身からではなく、天からから来るものなのです。

 

 天の父よ、今日の御言葉を感謝します。あなたの息子や娘として、多くの人は様々な理由で他人を見下しています。彼らの欠点を見ても、自分の欠点は見えていません。また、自分自身を高く評価しすぎて、自分の立ち位置を忘れてしまうこともあります。私たちがあなたの前に立つことができるのは、あなたが私たちを愛し、私たちの罪の罰を受けるために御子イエス·キリストを遣わしてくださったからです。イエスさま、私たちの義となってくださり、ありがとうございます。主よ、あなたを愛しています。In Jesus Name we pray, Amen.

 


 “Righteousness Looks Down from the Sky”

 

Psalm 85 is attributed to the Sons of Korah. It is believed that Korah is the person who rebelled against Moses in the Book of Numbers. The term “Sons of Korah” actually means “descendants” in today’s language. Another well-known “son of Korah” is the prophet Samuel as noted in 1 Chronicles 6:33. Psalm 85 starts off with the Psalter asking God to remember when He was not angry with His people. During those days, God 1) Restored the fortunes of Jacob, 2) Forgave and covered the sin of His people, and 3) Turned away from His anger. The Psalter then asks the God of our salvation three questions: 1) Will You be angry forever, 2) Will you prolong our anger to all generations, 3) Will you not revive us again? Using the sacred name “Yahweh,” the Psalter pleads with Him to show His steadfast love and grant His people salvation (vv. 7).  

 

Next, the Psalter confidently declares with boldness of what Yahweh will do. God “. . . will speak peace to his people, to His saints; but let them not turn back to folly” (vv. 8). This verse reminds us of what Yahweh told Solomon: “. . . if My people who are called by My name humble themselves, and pray and seek My face and turn from their wicked ways, then I will hear from heaven and will forgive their sin and heal their land” (2 Chronicles 7:14). Verses 10 and 11 further reveals God’s solution for His people. According to some scholars, these verses reveal the inner workings of God’s covenantal relationship with His people. In order to maintain Shalom, God’s people must fulfill their part of their covenant with God and live righteously. A covenantal relationship is not one where God does everything and His people do whatever they want. God’s people must also do their part. Only then will God turn from his anger against them. 

 

How do we apply this today? If we truly love God, we must be faithful to Him. To be faithful to Him, we must live righteously. However, we know very well that we cannot do this on our own to His standard. Paul teaches: “For our sake He made Him to be sin who know no sin, so that in Him we might become the righteousness of God” (2 Corinthians 5:21). No matter how hard we try, we will always fall short of God’s righteousness. However, through Jesus Christ’s righteousness, we can once again regain our Shalom with God the Father. Jesus Christ is our righteousness. Interestingly, verse 11 reveals: “Faithfulness springs up from the ground, and righteousness looks down from the sky” (vv. 11). We who are on the “ground” must be “faithful.” Our “righteousness” comes not from ourselves but from the “sky,” from He who is in heaven.

 

Thank you, Heavenly Father, for your Word today. As Your sons and daughters, many of continue to look down on others for various reasons. We see their shortcomings while being blind to our own. We often think too highly of ourselves by forgetting to remember where we ourselves stand. We are able to stand in Your presence only because You love us so much that You sent Your Son Jesus Christ to pay the penalty for our sins. Thank You Jesus, for being our righteousness. We love You Lord. In Jesus Name we pray, Amen.

 

 


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