2021年11月9日 ディボーション

詩篇第二巻 69篇


 この長い詩篇の中で、特に32、33節が心に響いた。「心の貧しい者たちよ。見て喜べ。神を求める者たちよ、あなたがたの心を生かせ。主は、貧しい者に耳を傾け、捕らわれたご自分の民を蔑まない。


 ダビデは戦士であったので常に戦いの中にある。外的はもちろんのこと、身内からもいつ寝首を欠かれる分からないのが当時の状況であったろう。現に実の息子がクーデーターを起こしている。


 いつ敵の矢が自分に当たってもおかしくない、いつ暗殺されてもおかしくないのだ。多くの皇帝と呼ばれる人物は、その恐怖によって精神を病んでしまう。ローマ皇帝しかり、ヘロデ大王しかりである。彼らは、その恐怖のゆえに身内も含めて異常な粛清を繰り返した。


 ダビデも、同じように精神を病み、異常な行動を行っても不思議ではない極限状態に置かれている。しかし、彼の精神は守られた。「あなたがたの心を生かせ」とあるように、彼の心は生かされた。


 このような極限状態の中にあっても精神を保つことが出来たのは、自分の心の貧しさを知り、神を求めたからだ。「心の貧しさ」とは、意味としては「霊の飢餓状態」を現わす。それくらいに「神を求める」ということだ。神にしか頼れないないという状況の中で、頼ることのできる神が共にいるということだ。


 イエスの言われた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ6:3)


 神に頼らなくても、他にいくらでも頼れるものがある状態というのは、ある意味不幸なことだ。逆に神にしか頼れない ―それは間違いなく試練の時だろう― しかし、それは幸いなことなのだ。なぜなら神を求める者に、神は必ず応えてくださるからだ。


 真理は、時に逆説に見える。それほど私たちの人生は神の真理と逆になっているということだろう。真理が逆説なのではなく、私たちが真理と逆の生き方をしているということだ。


 真の幸いとは、自らの「心の貧しさ」を知り、それゆえに心の底から神を求めることなのだ。ダビデは、その幸いを知っていた。だから極限状態にあっても、彼は平安を得ることが出来たのだ。



天の父なる神さま。私たちは今、心の底からあなたを求めます。あなたがおられなければ、一息さえもできません。一歩も前に進むことができません。どうか主よ、私たちを憐み、助けてください。あなたに心を生かされ、今日も歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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