詩篇第三巻 88篇
詩篇88篇は暗い、嘆きの歌で始まっていて、今までと違って最後まで賛美と感謝の歌が述べられていない。言葉も10節から12節で、死人、亡霊、墓の中、闇の中と暗い表現で書かれているのである。さらに、親友を遠ざけて、彼らの忌み嫌う者とされたと訴えている。詩篇88篇は詩篇の中で最も悲哀に満ちた詩で、多くの教会で主イエスが十字架に架けられた日に読まれているといわれている。
作者は暗闇を親しい友としていると神に叫んでいる。大変な失望の中にいたのだ。この作者は思い病魔に冒されていたのだろうという人もいるらしい。まるでヨブ記を読んでいるような気持ちだ。ヨブも必死になって神を呼び求めていたのである。神の許可を受けたサタンの攻撃を受け、子どもも財産も失い親友や妻から見離されて、挙句の果てに足の裏から頭の頂きまで悪性の腫瘍で打たれ死の苦しみを味わう。しかしヨブは、神と応答できたが、詩篇88篇の作者は神からの応答がなかったのである。
この筆者は両手をあげて「助けて下さい。」と叫んでいるのである。そして、どうして神
は、自分の叫びに答えてくださらないのかと嘆いているのである。筆者は、神から見離され、神の憤りが自分の上にとどまっていると思っていたのだ。
私も苦難の中にいた時は、作者と同じように神から見離されて、私が何かをしたから神の憤りが私の上にのしかかっているのだ、と自問自答したことがあった。そしてすべての物事を悪いほうに考えたことがあった。本気になって神にぶつかったことがあった。泣いて神に抗議したことがあった。でも、神様は、決して私を見離されなかった。試練のなかから恵みへと導いてくださったのである。本当に感謝なことであった。
「しかし私は 主よ あなたに叫び求めます。朝明けに 私の祈りは御前にあります。」
13節
作者は、いつか必ず朝明けには神が、彼の祈りに答えてくださることを信じて祈ったのだろ
う。私達への教訓に匹敵するみことばではないだろうか。
「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇30:5が心に湧き上がってきた。
祈り
恵み深き天の父なる神様。
御名を心から賛美します。苦難の中で八方ふさがりの中にいても、あきらめずに、
「しかし私は 主よ あなたに叫び求めます。朝明けに 私の祈りは御前にあります。」と
祈ることができますように助け、導いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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