2021年11月26日 ディボーション

詩篇第三巻 86篇


 10年前、高校の同窓会に出席した。参加者の中に盲目の女性がいた。36歳の時に病気で視力を失ったそうだ。

 それまで見えていたものが全く見えなくなる、さぞかし不便で辛い人生だろうと私は思ったのだが、彼女は微笑みながらこう語った。

「私は毎日、優しさのシャワーを浴びている。失明する前は、人間の嫌な部分ばかり見えて、落ち込んだりイライラする事が多かったけれど、視力を失ったことで、たくさんの人の支えと思いやりに触れ、小さなことに感謝できるようになった。今はとても幸せだ。もし生まれ変わったとしても、また目の見えない人生を選びたい。」


 当時の私は、そんなの絶対に嘘だ、目が見える方が良いにきまってる、彼女は強がってるだけだと思った。しかし今は、彼女の気持ちがわかるような気がする。


 できることなら、苦しみを経験せずに毎日を過ごしたいと思う。けれども、この86篇ダビデの祈りを読み、苦しみは不幸ではないのだと感じた。なぜなら、苦しいからこそ神さまを必要とし、愛である神さまとつながり、関わり合えるのだから。 

 それが、人間にとって最高の祝福なのではないだろうか。


 ダビデは、心の貧苦を自覚しているからこそ、主に願い事ができる。

「主よ 耳を傾けて 私に答えてください。私は苦しみ 貧しいのです。」(1節)


 ただ願うだけではない。主は答えてくださる方だという確信をもっている。

「苦難の日に 私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。」(7節)


 私は、占いが好きだった。

 血液型占い、星占い、六星占術、タロット、風水、手相や姓名判断に喜んだり心配したりしながらも、本当に信頼できるもの、確信できるものは何一つなかった。

 聖書を読むようになり、イエスさまを確信した。同時に、心の内に小さな幸福感が芽生え、それが日に日に大きくなってきている。視力を失った同窓生と同じく、小さな事に感謝できる人間へと、少しずつ変わりはじめている実感がある。

 その理由は、真理である主の道を歩み始めたからだと思う。


「主よ あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。」(11節)


 神さまの道から外れてしまうことが多々ある。

 けれども、その都度、正しい道に戻してください!と祈れる神の家族になれたこと、それが、私にとって最高の祝福です。


「わが神 主よ 私は心を尽くしてあなたに感謝し とこしえまでも あなたの御名をあがめます。」(12節)


祈り:

 天のお父様。あなたは苦難を祝福に変えてくださる真理の神です。私たちの上に、あなたの愛と守りがあることを心から感謝します。神さま、ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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