詩篇第三巻 84篇
なんと美しい詩篇だろうか。
「なんと幸いなことでしょう。」(4、5、12)が繰り返される。この詩人の感情が伝わって来るようだ。
「私のたましいは、主の大庭を恋い慕って、絶え入るばかりです。」(2)
「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつも、あなたをほめたたえています。」(4)
「まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。」(10)
この詩篇のすべてを書き記したいが、ともかくこの詩人は、神の家に住むことの幸いを歌っている。
さらに、「心にシオンへの大路のある人は、彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧く所とします。」(5,6)と歌う。
「シオンへの大路」、それは私たちの心の中にある神への道。人生に起こる様々な試練の中にあっても、この道を心の中に持っている人は、涙の谷が泉の湧く所に変えられる。この「大路」が心の中にある人は、幸いである。
私たちは、自分は神の家に住んでいると言えるだろうか。神の家とは、神が支配する神の国のことだ。それをあえて「家」と表現するのは、私たちが神の国の国民である以上に、神の家族であることを示している。家とは、家族は共に住む場所だ。神の国の王に治められる国民と、神の国の王の家族とでは、その関係性はずいぶんと違う。私たちは、神の家に住む神の家族なのだ。
家族崩壊の家庭に育った自分にとって、家族とは憧れであり、しかしコンプレックスの原因でもあり、悲しい記憶でもあった。
コロナ禍にあって、学校が閉鎖になったことで、心を病む子どもたち、自死へと追い詰められる子どもたちが増えている。その原因は家に居る時間が長くなったことだ。なんという悲劇であろうか。厳しい現実がそこにある。
しかし、福音はある。
私たちは、イエスを信じて救われることで、神の家族となれるのだ。天の父に愛されている子どもとして神の家に住むことが出来るのだ。この家に住む人は「なんと幸いなことでしょう!」
この家には、平和が満ちている。愛が満ちている。希望が満ちている、喜びと楽しみが満ちている。この家に住めることは、神の恵みである。
天の父なる神さま。あなたの家に住めること、神の家族に迎え入れられたことを心から感謝します。あなたの家には、喜び、楽しみ、平安が満ちています。なんと素晴らしい家でしょうか。永遠にこの家にあなたと共に住まいます。感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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