2021年11月24日 ディボーション

詩篇第三巻 84篇


『各駅停車の旅。』


 携帯電話は5Gになり通信速度が速くなった。おかげで動画は勿論、様々な業務が格段に早いスピードでこなせるようになった。しかしそこで節約した時間はどこに行っているのだろうか?

 私が大好きな児童文学、ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出す。訳者の後書で大島かおりさんはこう語る。

『これほど足りなくなってしまった『時間』とは、いったいなになのでしょうか?機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです。』


まことに あなたの大庭にいる一日は 千日にもまさります。

 私は悪の天幕に住むよりは 私の神の家の門口に立ちたいのです。」(10節


 井の中の河頭だった時は分からなかった神の愛。作者はバビロン捕囚によってエルサレムの神殿から離れた場所にあり気付かされた。私もコロナ禍にあって、常に礼拝を守れることが当たり前と言う習慣にあぐらをかいていたと思う。作者のように私も主の臨在の元に召し出される事がどれだけ素晴らしいことか、そしてそれが神の恵みの現れである事を悟った。主の恵みの中だけで私は人として、そしてイエス様の似姿に変えられるように成長していく。

 新幹線に乗れば目的地に早く到着する。しかし景色をゆっくり見ることはできない。各駅停車の旅はそれとは全く逆。時間はかかる。しかしそのゆっくり流れる時間の中に、沿線で生活する方々の姿をとらえ、駅で働く方、お弁当売る方々との交わり、同席した人とのたわいも無い会話、そんな心の触れ合いがある。

 神がくださるご計画にはいつも神が同席してくださる。だから安心して主からのプレゼントを受け取りたい。

 私が超特急新幹線生活を送ってばかりいると神様は無理矢理、各駅停車チケットをプレゼントしてくださる時があった。最初のチケットは父の事業倒産に伴うホームレス生活。次は交通事故での頚椎捻挫。その次は敗血症による入院1ヶ月。しかしそれは、忙しい時から立ち止まり、主が私にある計画を成すために必要な時間だったのかもしれない。当時の私にこの御言葉を伝えたい。


まことに 神である主は太陽 また盾。主は恵みと栄光を与え 誠実に歩む者に良いものを拒まれません。」(11節)


 困難の中にあっても、私の心は常に主の宮にある大庭で過ごす一日でありたい。主を仰ぎ見て、これまでなさってくださった事を感謝して、平安の時を神と過ごすことができる幸せ以上に幸せなことはあるのだろうか。主の深い愛に感謝せずにはおられない。


祈り

私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』 と。」(詩篇91:2)

イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。



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