2021年11月23日 ディボーション

詩篇第三巻 83篇


 詩篇には、敵との戦いが背景にある詩篇が多い。この詩篇もまさにそうである。その戦いの中で、どうして神の民が異邦の民に負けるとか、劣勢になるとか、そのような事が起こり得るのかと、それが大きな苦悩の一つである。

 ここでも「神よ、沈黙しないでください。黙っていないでください。神よ、黙り続けないでください。」(1)と訴えている。

 今すぐに立ち上がって敵を滅ぼして欲しいのに、神は、思った通りに動いてはくださらない。「神の沈黙」には、深い意味がある。


 遠藤周作の書いた『沈黙』は、数年前にアメリカ人の監督によって映画化された。多くの人が誤解しているようだが、この「沈黙」の意味は、苛烈なキリシタン迫害のただ中にあって神が沈黙していたという意味でははない。遠藤は「神は沈黙していない、語り続けている」ということを表現したかったのだ。

 確かに、不条理な世界にあって、神が沈黙しているかのように思えることはある。しかし実は、神は沈黙を通して語っておられるということだなのだ。


 さらに、この詩篇には「彼は言っています。さあ、彼の国を消し去って、イスラエルの名が、もはや覚えられないようにしよう。」(4)と記されている。

 この敵のセリフは、歴史の中でユダヤ人に対して語られ続けて来た言葉だ。神の計画はイスラエルという国を中心に行われる。だからサタンは、イスラエルという国をこの地上から消し去りたいのだ。歴史の中で、イスラエルという国、民族は、常に、何度も、消し去られそうになる。ナチスによるユダヤ人ホロコーストは最たる例である。

 その迫害の中でも、神は沈黙しているように見える。この83篇を、当時のユダヤ人たちが読むとき、どれほどのリアリティをもってこの詩篇を読んだことだろうか。


 神は沈黙していない。神は様々な仕方で今もなお語り続けていてくださる。私たちは、その「細き御声」を聴く者でありたい。神の計画は必ず成る。

 そして、イスラエルの平和のために祈る者たちでありたい。敵はイスラエルを消し去ろうとするが、歴史的事実として、今もなおイスラエル民族は存在している。

 私たちも、神の沈黙の中に語られている、神の御声に耳を澄ませていきたい。


 天の父なる神さま。あなたは今もなお語り続けていてくださることを感謝します。神の計画は必ずなります。誰であっても、その計画を邪魔することはできません。主よ、どうか私たちが沈黙の中で語っておられる主の御声を聴き分けることができますように。そして、イスラエルの平和を祈る者たちでありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

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