2021年11月21日 ディボーション

詩篇第三巻  81章


 詩篇81篇はイスラエルの三大祭りの一つである仮庵の祭りの時に歌われたものだと言われている。三大祭りとは、1.過ぎ越しの祭り 2. 七週の祭り 3. 仮庵の祭り の三つである。その中の仮庵の祭りとは、モーセが奴隷だったユダヤ人達をエジプトから連れ出した後の厳しい荒野の40年間の生活を忘れない為に年に一度催されたものである。過ぎ越しの祭りはユダヤの祭りのなかでも重要なものだと言われているらしく、ほとんどのユダヤ人がこの祭りを厳守しているといわれている。ちなみにイスラエルでは過ぎ越しの祭りの時期は、官庁、会社、学校などは一週間ほど休みがあるらしい。又、実際に仮庵を造りその中で先祖の生活を追体験する人々もいるらしい。国挙げてのお祭りを祝うことらしい。子々孫々にこの大事な歴史を思い出させるためでもあることでしょう。


 作者は、いろんな楽器を用いて神を賛美せよと語っている。3節で、「新月と満月に 角笛を吹き鳴らせ。私たちの祭りの日に。」と作者の、私たちの祭りの日にと強調して喜んで語っているのが伝わってくるようである。神が私達の先祖の為になされた御業を褒め称えようと勧めているのである。


 だが作者は、「私は まだ知らなかったことばをきいた。」と思いがけないことを言っているのである。これは、筆者が自分達の祖先が神に従わないで理不尽なことをしてきたことを聞いたということである。つまり神の恵みの声に従わず、他の神々を崇拝して、神の声を無視したということである。それゆえに神は、民を頑なな心のままに任せられましたが、その末路は敵に苦しめられるだけだった。神さまも又、民にたいして嘆いておられたのである。民がわたしに聞き従いわたしの道を歩んでいたら、彼らの敵に手を下していただろうにと、神はいつでも民が改心するのを待っておられたのである。


 神は、ご自身を憎む者には刑罰をあたえられるが、しかし悔い改めるなら16節で、「しかし主は最良の小麦を御民に食べさせる。わたしは岩から蜜で あなたを満ち足らせる。」と語られておられる。何と憐れみに満ちた主のことばでしょうか。私達が大きな口を開けて満ち足りることができるのは、イエス様という土台にしっかりとしがみついていくことではないだろうか。神の憐れみの深さを知ることではないだろうか。


祈り

愛する天の父なる神様。

詩篇81篇をとおして、神さまが民になさってきたことがどれほど憐れみに満ちたものであるかを知り感謝します。私達も口を大きく開いて、イエス様によって満ち足らせていただけますように導いて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

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