詩篇第二巻 62篇
「ただ神だけで十分」
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。」
「私の救いは、神から来る。」「私の望みは、神から来るからだ。」(1、5)
昔のこと、私が拠り頼んでいた人脈、信用、立場のすべてを失ったことがあった。その時、地面がぐらぐらと揺れ動くような恐れを感じた。神だけに拠り頼んでいる自分であったし、そのように考えていた。しかし、わたしのたましいは恐れていた。
知識として理解していることと、実際に心の深い所で感じていることは、必ずしも同じではないことがある。
私は、揺れ動いていた。しかし、その動揺の中で、この詩篇62篇に導かれたのだ。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。神こそ、わが岩、わがやぐら。私は決して揺り動かされない。」(1、2)
その時、まさに御言葉の力を体験した。すべてを失っても、ただ神だけが救いであり、希望であり、このお方だけで十分だと、まさにたましいで分かった。その時、私の心は平安で満たされた。
「私の救いと栄光は、ただ神にある。」(7) アーメン!
クリスチャンは、人生のどこかで「ただ神だけ、それで十分、それで良い」と言える
ような神との出会いに導かれる。
そのような時は、人間にとっては危機に陥った時だろう。しかし、人間の危機は、神の好機とは、よく言ったもので、その危機は、たましいのレベルで神に出会うための好機となる。
「民よ、どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」(8)
神に信頼している者は、「心を注ぎだす」ことが出来る。心がダムのように何かを貯め込んでいても、ダムが決壊するように、神の御前に心が注ぎ出される時がある。すべてが注ぎ出されたとき、神はその心を平安で満たしてくださる。
一杯の器には、それ以上何も注ぐことは出来ない。器を空にすると、新しい恵みが注がれる。
神の御前に心を注ぎ出そう。
天の父なる神さま。あなただけで十分です。あなたこそ私の全てです。あなたによって私たちのたましいは満たされるのです。だからどんな時にも、あなたに信頼して、心を注ぎ出して祈ることができますように。さらにさらに、あなたの平安で私たちの心を満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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