詩篇第三巻 76篇
「神は ユダにご自分を示される。イスラエルに その御名の偉大さを。」(1)から始まるこの詩篇は、神の偉大さを歌ったものだ。
その偉大さを強調するために、10節には、「まことに 人の憤りまでもがあなたをたたえ あなたは あふれ出た憤りを身に帯びられます。」と記されている。
「人の憤り」までもが神をほめたたえるとある。これは義憤ではなく、あくまでも人の悪としての憤りである。これは、独特な強調表現である。しかし、ただの強調法だけではない。確かに神は、人の悪さえもご自身の栄光とすることが出来る。
ヤコブの子たちは、嫉妬にかられて弟ヨセフを奴隷として売り飛ばしてしまった。しかし神は、その悪さえも用いてヨセフをエジプトの宰相とし、イスラエル民族を飢饉から救った。
ユダヤ人の指導者は、ヤコブを殺害しクリスチャンを迫害した。それによって信者は散り散りになって地方へ逃げていった。しかし、彼らはただ逃げたのではなく、福音を宣べ伝えながら散らされて行ったのであった。それによって福音は拡がっていった。
神は、人の悪さえも、神の働きのために用いられる。
神の働きを、私たちの小さな頭の中に押し込めてはならない。神は、すべてのことをご自身の栄光のために用いられる。
神に用いられるのは、クリスチャンだけではない。神は未信者も用いられる。さらに、私たちの失敗、過ち、罪さえも、神の栄光のために用いることをされる。逆に、完璧に正しい行い、知識、計画があっても、それで神の栄光が現れるかと言えば、そうとも限らない。
神は、人知をはるかに超えた御心をもって、ご自身の栄光を現わされるのだ。私たちは、その神の主権の前にひれ伏す者でありたい。
(それでは、神の栄光のために、もっと悪を行おうという理屈は屁理屈である。神の栄光の中に生きている人には、そんな発想は出てこない。)
愛する天の父なる神さま。あなたは、ご自身の栄光のために、すべてのことを用いられます。そしてあなたは主権をもって、ご自身の計画を成し遂げられます。私たちには、到底及びもつかないことです。あなたの栄光と主権の前に、ただひれ伏します。今日も、あなたの御心が成りますように。それが私たちの願いです。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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