詩篇第三巻 73篇
『まことに神はいつくしみ深い』
昨日のディボーション、詩篇72はダビデがソロモンに譲位をした際に祈られた賛美だった。格式があり、朗々として、ゆったりたっぷり、美しい調和に満ちていた。サーバントリーダーシップ、帝王学とはかくありなん。今この世界を動かしている君主、大統領、政治家、社長すべてのリーダーに読んでほしい聖書箇所だった。
そして第三巻の始まりである詩篇73は、今この世界を支配している格差社会で勝ち組といわれる富豪、エセリーダーに対する不条理というか、ねたみ・そねみ・ひがみが吐露されている。
悪しき者の横行に対する憤慨もさることながら、それをねたみ・そねみ・ひがむ己のブラックな心がやるせなくて、いたたまれないのだ。
「ねたみは骨をむしばむ」箴言14:30
私も自分に与えられているものより、他の人が持っているものをうらやんで、心がねじれてねたんだりひがんだりすることがままある。そんな己に嫌気がさす。
この記者は賛美リーダーのアサフだ。賛美とはここまで自らのたましいをさらけ出すものなのかというほどに、アサフは絶望に落ち込みそうな心境を訴える。それが3〜12節。
ところがアサフは悪事をあばく口に封をした。ねたみの感情が少しでもあれば、同罪だと思ったからだろう。
「もしも私が「このまま語ろう」と言っていたなら きっと私は あなたの子らの世代を 裏切っていたことだろう」15節。負の連鎖を断ち切りたいと告白している。そして、
「ついに私は 神の聖所に入って 彼らの最期を悟った。」17節
アサフは、悟るまで祈って祈って祈って、自分の中のねたみ・そねみ・ひがみを祈り倒したのだ。
私は一回祈ると神さまに預けたのだからそれでよしとして、悟るまで何度も何度も祈り抜いていなかった。この詩篇には、どれだけの時間が込められているのだろう。
「まことに 神はいつくしみ深い。」1節
”まことに”とは、本当に、とか、実に、つくづく、といった意味がある。でもこの”まことに”は、
アサフが祈って祈って悟りを体得するまでの時間軸が含まれている。一歩一歩神さまが導いてくれた道行。ついに悟ったのは、神さまはいつくしみ深い、ということ。勝利の神さま!
「しかし 私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。」28節
もうねたまない。神さまのそばにいるだけで、ただそれだけで、なにもいらない。
神はいつくしみ深い、God is Good !
神さま、詩篇73を与えてくださってありがとうございます。
「あなたは 私を諭して導き 後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」24節
イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン
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