2021年11月12日 ディボーション 

詩篇第二巻 72篇


 ある女性が車を運転していたとき、冷凍のターキーがフロントガラスを突き破って飛び込んできた。女性は病院に運び込まれ、10時間にも及ぶ顔の手術を受けた。そのあと何ヶ月も、苦痛を伴うリハビリが続いた。

 犯人は19歳の青年。盗んだクレジットカードで大量の買い物をし、仲間と一緒に悪ふざけて、女性の車に向かってターキーを投げつけたのだ。

 女性は、犯人を裁く法廷で、判事に情状酌量を要請した。そして、こう語った。


 ”確かに痛みと恐怖をともなう体験でした。でも、この事故を通して私は多くのことを学びました。毎朝目覚めると、自分が生かされていることを神に感謝しました。ライアン君、あなたもこの事故から多くの教訓を学んだと思います。私は復讐を願ってはいません。あなたに長期刑を科すことは、私にとっても、あなたにとっても、また社会にとっても、益になるとは思いません。”


 青年は涙を流し、自らの愚かな行為をわびた。女性による情状酌量の要請がなければ、25年の長期刑が出たであろう状況で、判決は6ヶ月の懲役刑にとどまった。女性は、さらに語った。


 ”私はあなたに対して憐れみの心を示しました。あなたに、立派な人生を歩む人になって欲しいからです。そうなれば、私が通過した痛みの経験には意味があったことになるのです。ライアン君、どうか私の判断が正しかったことを立証する生き方をしてください。”

 (聖書入門.com「生き方レシピ 赦しの法則」より抜粋)


 この女性の言葉は、そのまま私自身に向けられた神さまの言葉だと思う。

 公正なさばきは、神にゆだねられる。人をさばくことができるのは、ただひとり、神さまだけ。


 さて、この72篇は、ソロモンに王位を継承する時期を迎えたダビデが、神の義と栄光がとこしえに続くことを祈る詩。冒頭に、”公正”という言葉が登場する。

「神よ あなたのさばきを王に あなたの義を王の子に与えてください。彼が義をもって あなたの民をさばきますように。公正をもって あなたの苦しむ民を。」


 40年間イスラエルを統治したダビデ。その生涯は、変化が激しく劇的で、苦難の連続だった。絶頂期には大きな罪も犯した。しかし、ダビデは常に神を求め、謙虚な心で祈り、主をほめたたえることを止めなかった。

 なぜだろう。ダビデの判断の中心には常に、神さまがいたからだろう。


 敵であるサウルを攻撃するチャンスが到来したにもかかわらず、ダビデはサウルを殺さなかった。そして、敵のサウルにこう語った。「どうか、主が私とあなたの間をさばき、主が私のために、あなたに報いられますように。しかし、私はあなたに手をかけることはいたしません。」(第1サムエル24:12)


 冷凍ターキーを投げつけた青年と、顔面に大けがを負った女性の話と重なる。

 神さまは、罪人の私を、神の義をもって赦してくださった。だから、私も同じように、自分の義で人をさばかず、自分を攻撃してくる人を赦す者でありたい。


 これまでの詩篇の中で、ダビデは神である主を、様々な言葉で表現してきた。

 主は、私の盾、避け所、逃れ場、助け、力、望み、恵み、光、そして羊飼い。

 どんなときも、ダビデの判断の中心には神さまがいた。私もそうありたい。


「ほむべきかな 神である主 イスラエルの神。ただひとり、奇しいみわざを行われる方。とこしえにほむべきかな その栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。アーメン、アーメン。」(18、19節)


 ここで、詩篇第二巻が閉じられ、ダビデの祈りは終わる。

 私たちの真のリーダーは、ただひとり、神である主。


祈り:

 愛する天のお父様。世界を治め、世界を救い、世界を祝福されるのは、ただひとり、神さまだけです。あなたの守りによって今、私たちが生かされていることを感謝します。いつも私たちの心のど真ん中にいて、神の義と栄光を示してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:64回

最新記事

すべて表示

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の原型なのだろうか、神さまの惜しみない恵みを目の当たりにして、にわかに信じられず、右往左往しながらフリーズしてしまう弟子たち。さ

詩篇第五巻 150篇 『十字架は賛美の力の源泉』 とうとうグランド・フィナーレである。角笛と琴と竪琴と、タンバリンとシンバルのあらゆる楽器のフルオーケストラで、ハレル・ヤハ=神をほめたたえよ、と高らかな賛美をいざなう。 大げさな表現は微塵もないのに、ことばの一字一句が気高く揺るぎない。それは神さまが絶対だから。聖書のみことばには霊的な力があることを、ビシビシ教えてくれる詩篇だ。 「御力の大空で 神

詩篇第五巻 149篇 私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。 夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見えた。 色褪せたそれら一つ一つを見つめる両親の目は、とても優しかった。 その中に、私たち夫婦の写真が加わったのを見た時、胸が熱