top of page

2021年11月1日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2021年11月1日
  • 読了時間: 3分

詩篇第二巻 61篇


『真の強さ』


 私たちに与えられているすべてのものは神による祝福である。それを知らないと、それらに固執し、それらを失うことへの恐怖に苛まれ、人を信用できなくなり、自らを孤立させる結果となる。神は与えもするが、取り去ることもされるお方である。神のご計画の全貌を知ることのできない私たち人間にとっては「予期せぬ災難」であっても、神の目からは、ご計画の成就のために必要なプロセスであり、それは決して予期せぬ出来事などではない。


 主はダビデに、「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(2サムエル7:16)と約束された。しかしダビデの息子アブサロムの謀反によって、彼の王位は奪われ、イスラエルの民もまた、アブサロムについてしまった。様々な思惑が一斉に迫ったとき、ダビデは神を求めたのである。


「私の心が衰え果てるとき 私は地の果てから あなたを呼び求めます。どうか、及びがたいほど高い岩の上に 私を導いてください。」(2節)


 新改訳聖書2017年版では「私の心が衰え果てるとき」と訳しているが、共同訳では「心が挫けるとき」、英語訳NKJVでは「when my heart is overwhelmed」とある。個人的には英語訳がしっくりくる。「overwhelmed」は辞書では「圧倒される」と訳されており、良い事にも悪い事にも、感情を表現するのに便利な言葉である。ここでは、否定的な感情を言い表すために使われていて、ダビデは、自分ではどうすることもできない問題、状況に「overwhelmed」圧倒され、心が挫けそうだから、主よ、どうか私の祈りに耳を傾けてください、と呼び求めたのである。そして祈りの中、主の守りの確信に導かれていくのである。


「あなたは私の避け所 敵に対して強いやぐら。私はあなたの幕屋にいつまでも住み 御翼の陰に身を避けます。」(3〜4節)

 

 ダビデ始め、神に選ばれた人たちの凄さはなんといっても、このメンタリティーにあると思う。どんな過酷な状態、どうしようもできない、通常ならあきらめて当然と思えるようなときでも、信仰によって乗り越えていくのである。状態は非常に緊迫している。しかし、神が共にいてくださる、という確信は、信仰者の心の拠り所であり、それはまた、次の一歩を踏み出す勇気へと変えられていくのである。


 心が圧倒されて、挫けそうになる時、主を見上げよう。主は、私たちと共にいてくださるお方、私たちを愛してくださるお方、私たちを聖め続け、御国へと導いてくださるお方である。主の御名を褒め歌い、福音を伝える者として、この身をささげよう。


祈り:

天の父なる神よ、あなたより与っていますこの福音を、どうか、それを求めておられる方々のところに届ける者とされますように。聖霊さまの導きがこの身にありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


最新記事

すべて表示
2025年6月23日 詩篇第49篇

『人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできない』  自分自身が72歳になって、徐々に棺桶に近づいているせいか、この17節のことばに、確かにそうだと頷いてしまいました。人が生まれる時には、おぎゃ〜と言って息を吸って生まれてきますが、死ぬ時には、逆に大きく息を吐いて死ぬと聞いた...

 
 
 
2025年6月22日 詩篇第48篇

詩篇48篇を読んでいて、ある賛美曲が浮かんできました。  それは、威光 尊厳 栄誉(新聖歌166番)です。 「世界中 どこででも 新しい歌をささげよ  主に歌え ほめたたえよ 御救いの知らせを告げよ  まことに主は大いなる方 賛美されるべき方  威光と尊厳と栄誉 光栄と力...

 
 
 
2025年6月21日 詩編第47編

これは希望と喜びにあふれた神様への賛歌だ。 まことに、高き方主は恐るべき方。 全地を治める 大いなる王。 国々の民を私たちのもとに もろもろの国民を私たちの足もとに従わせられる。 主は 私たちのために選んでくださる。 私たちの受け継ぐ地を。 主が愛されるヤコブの誉れを。...

 
 
 

Comments


bottom of page