詩篇第二巻 70編
「神よ、みこころならば私をお救いください。」(1節、口語訳聖書)
私たちの世は、毎日つまづきのオンパレード。どうしてこのタイミングなんだ・・・と思うことが多々ある。例えば、私の以前の車は1年の間に合計3回の事故にあった。2回の当て逃げ。1回は高齢者の方が私の駐車している車にギアの入れ替えミスで突っ込み、彼女が大怪我をした。幸いな事に常に私が乗っていない時に事は起こった。
「わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。
つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。」(マタイ18:6~7)
主はこのように私たちに語る。つまずきを与える者は災い。当て逃げの犯人は私にとってつまずきだ!と思った。確かに彼らは悪い。しかし、その時の私はどうか?イエス様ならどうした?と今は冷静に考える事ができる。私は人につまずきを与えていないのか?自分の事を棚にあげていないか?と考える機会となった。犯人を言葉で呪うことは無意識のうちに人を傷つけている事になる。本来ならば、犯人が悔い改める日が来ることを祈るべきだった。
「私は苦しむ者 貧しい者です。神よ 私のところに急いでください。あなたは私の助け 私を救い出す方。主よ 遅れないでください。」(5節)
作者は迫害の中で心に余裕がない。遅れないでください、と祈ると言うことは彼には神様の救いが間に合わなかったことがあるのだろうか。主は必ず私たちに最善の計画を、ベストなタイミングで下さる。それがたとえ苦難の中の救いであろうと、その救いもベストのタイミングで与えられる。私にとってベストでは無く、主にとってベストタイミング。必ず御心がなる事を信じて今日も歩みたい。
祈り
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書3:11)
天の父なる神様。日毎の糧をありがとうございます。全て、貴方が備えて下さった場所で生活している私ですが、何か不測の事態が起こると心が騒いでしまいます。不安になります。そして肉の思いで行動して失敗します。そんな不信仰な私ですが、今日の聖書箇所から全てが貴方の御心からなることを再確認しました。イエス様の十字架が私のためであると信じる信仰によって貴方のみ旨を受け入れます。今日も貴方の御心がなりますように、そしてそれを受け入れられる心に整えられますように。
感謝して、イエスキリスト様のお名前と共に御前にお捧げいたしますアーメン。
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