詩篇第一巻 37篇
『悪を離れて善を行う』
悪に対して、どのような姿勢で向きあえばよいのだろう。誰もが抱えている大きな命題に対し真理が綴られている37篇。
「悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。」(1節)
「主の前に静まり 耐え忍んで主を待て。」(7節)
「怒ることをやめ 憤りを捨てよ。」(8節)
私たちは知っている。悪に対して腹を立てても問題は解決しないことを。怒りや腹立ちは、さらなる悪を生み出す悪循環への道であることを。
頭では理解していても心がついて来ずに苦しむことが、人生の中で何度も起こる。
悪に捕らわれ、そこから身動きできなくなり、がんじがらめになって、自分自身の心と行動の自由を奪われてしまう。
新約聖書のテサロニケ人への手紙第1の中にも、このような御言葉がある。
「だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。」(5章15節)
「あらゆる形の悪から離れなさい。」(5章22節)
以前、関真士牧師のクラスで、十戒(出エジプト記20章)について学ぶ機会を与えていただき、大切なことを教わった。
”隣人を愛する”とは、相手の存在価値を認めること。その人が悪い行いをしているとしても、相手の人格を否定しないこと。私たちの敵は「罪」であって、けっして「人」ではない、と関先生は教えてくださった。
確かにそうだと思った。認めることは、好きになることとは違う。その人のことが嫌いだとしても、その人の存在価値を尊重することはできる。
私たちは、悪と向き合う必要はない。なぜなら、悪は、しおれて枯れ、断ち切られ、滅び、過ぎ去り、いなくなるから。一時的には栄えても、必ず消滅するのだから。
消えていくものに焦点を合わせて無駄な時間を使うよりも、腹立ちの感情と一定の距離を置き、主を求めて信頼し、粛々として、誠実に堅実に、自分の善を行い、忍耐して時を待て、と聖書に書かれいる。
「主に信頼し 善を行え。 地に住み 誠実を養え。」(3節)
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(5節)
神様は、私たち一人一人に、「最短」や「最強」の道ではなく、「最善」の道を示してくださる。私はそう信じている。
祈り:
愛する天のお父様。今日も御言葉に包まれ鎮まる時間を与えてくださり感謝します。「悪」に支配されがちな弱い私をお守りください。人を裁きたがる心の悪から、私を遠ざけてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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