詩篇第一巻 32章
「幸いなことよ
その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」 1節
「幸いなことよ
主が咎をお認めにならず
その霊に欺きがない人は。」2節
ダビデがバテシバとの姦淫、彼女の夫を部下に命令して死に追いやった罪の葛藤が記されている。ダビデはその罪を隠そうとしたけど、神は御手をダビデの上に重くのしかかり苦しめられた。ダビデは人生最大なる罪を犯したけど、預言者ナタンによって罪を指摘されて悔い改めて罪の赦しが与えられて、「幸いなことよ…….」 と32篇の冒頭から感謝と喜びに満ちた気持ちで歌われている。
罪はいつまでも隠し通せるものではない。罪は人には隠すことができても神には隠せない。神はどんな小さな罪でも見通しであられる。神様が一番嫌われるのは罪である。そして、罪の告白をしない者には裁きが待っている。神様が一番喜ばれるのは、神の前に罪を告白して悔い改めることである。そうすることによって罪が赦されて、神からの報酬が得られるのである。
「悪しき者は心の痛みが多い。
しかし 主に信頼する者は
恵みがその人を囲んでいる。」10節
「正しい者たち 主を喜び 楽しめ。
すべて心の直ぐな人たちよ 喜びの声をあげよ。」11節
だれもが罪の経験をしてきたことだと思う。自分も罪のなかにいた時は、その罪を覆い隠そうとして自分をだまし、だまし生きてきたけどそれは無理だった。罪を隠そうとしても心の中は苦しみでどうにもならなかったことを覚えている。罪をぬぐい去って下さるお方はただ一人、私の為に私の罪を背負って十字架に架かって下さったイエス様以外に誰でもないのだ。
ダビデ王でも大きな失敗をしたが、素直に自分の罪を神に告白して、悔い改めの祈りをして、神から赦されて神の恵みに与らせていただいた。私達もこの世にいる間は日々罪との闘いといっても過言ではないだろう。それでも、罪を犯した時は、いつもそばにおられる神にその都度罪の告白をして悔い改めて赦して頂けることである。神に心を開き、神を喜び、喜びの声と感謝もって楽しんでいけることこそ私達の生きかたではないだろうか。
祈り
愛する天の父なる神様。
私達の罪の為に十字架に架かって死なれたイエス様に心から感謝します。私達はこの世でいつでも罪を犯します。でもイエス様の十字架の血潮によって、罪を犯しても、自らの罪をあなたに告白して赦して頂ける恵みをありがとうございます。肉の人間です。弱い私です。罪を犯したときはそれを素直に告白していくことができますように導いて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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