2021年10月27 日 ディボーション

詩篇第二巻 56篇


神に信頼し 私は何も恐れません。」(4、11節)


 肉の世は不条理のオンパレードだ。

「正直者が馬鹿を見る」と言う日本の故事ことわざがある。正直なものは秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いと言う解説がある。

 しかし父なる神、イエスキリストが私の救い主である事を信じ、新く生まれ変わって、神の子羊として歩む私の心には全く響かない。


ペリシテ人がガテでダビデをとらえたときに」と言う表題の解説がある。しかし多くの旧約聖書の研究者たちはユダの人々がバビロン捕囚の中にある苦難の時にダビデの信仰をしのんで歌ったものと見ているようだ。どちらにしても四面楚歌、孤立無援のような状況に置かれた者の気持ちを表した心の叫び。


 神様は私たちに幸福になるためのご計画を持っている。それでは、なぜこの詩篇の筆者のような苦難の中を通すのか。


 以下の聖句が1日のうちに2回も示された。

もし誰もが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなた方は庶子であって、実の子ではありません。

霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。」(新共同訳、ヘブル人への手紙 12章8、10節)


 父なる主だけが私の心に働きかけ、砕き、へりくだらせてくださる。苦難の中にあるなら、それは神様がまだ私にへり下る心が必要だと教えてくださっているのだと感じた。


 ダビデや当時の筆者は困難にあっても、それは主の愛による計画だと信じて受け入れた。私もそうやって困難を嘆くのではなく感謝を持って受け入れ、主のこれからの計画がどのようなものであるのかに想いを馳せることが出来る。そのような心持ちに聖霊様によって変えてくださった事を感謝せずにはいられない。


 その背景にはイエス様が私の為に罪を贖ってくださり、使徒たちの働きによりこれらの沢山の御言葉にふれる事ができる。その事に心から感謝をそして賛美を捧げたい。


心に恐れを覚える日 私はあなたに信頼します。

 神にあって 私はみことばをほめたたえます。

 神に信頼し 私は何も恐れません。

 肉なる者が私に何をなし得るでしょう。」(3~4節)


強くあれ、雄々しくあれ。

 彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。

 あなたの神、主ご自身があなたとともに 進まれるからだ。

 主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31:6)


神にあって 私はみことばをほめたたえます。

 主にあって 私はみことばをほめたたえます。

 神に信頼し 私は何も恐れません。」(10~11節)


祈り

天の父なる神様。今日もあなたとの時間をありがとうございます。24時間休まず働くあなたから、「恐るな」と沢山の御言葉を受けました。ありがとうございます。苦難の中にあっても、あなたに召された者として、喜びを持って歩んでいけるよう私の心を整えて下さい。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


閲覧数:27回

最新記事

すべて表示

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の原型なのだろうか、神さまの惜しみない恵みを目の当たりにして、にわかに信じられず、右往左往しながらフリーズしてしまう弟子たち。さ

詩篇第五巻 150篇 『十字架は賛美の力の源泉』 とうとうグランド・フィナーレである。角笛と琴と竪琴と、タンバリンとシンバルのあらゆる楽器のフルオーケストラで、ハレル・ヤハ=神をほめたたえよ、と高らかな賛美をいざなう。 大げさな表現は微塵もないのに、ことばの一字一句が気高く揺るぎない。それは神さまが絶対だから。聖書のみことばには霊的な力があることを、ビシビシ教えてくれる詩篇だ。 「御力の大空で 神

詩篇第五巻 149篇 私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。 夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見えた。 色褪せたそれら一つ一つを見つめる両親の目は、とても優しかった。 その中に、私たち夫婦の写真が加わったのを見た時、胸が熱