詩篇第二巻 56篇
「神に信頼し 私は何も恐れません。」(4、11節)
肉の世は不条理のオンパレードだ。
「正直者が馬鹿を見る」と言う日本の故事ことわざがある。正直なものは秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いと言う解説がある。
しかし父なる神、イエスキリストが私の救い主である事を信じ、新く生まれ変わって、神の子羊として歩む私の心には全く響かない。
「ペリシテ人がガテでダビデをとらえたときに」と言う表題の解説がある。しかし多くの旧約聖書の研究者たちはユダの人々がバビロン捕囚の中にある苦難の時にダビデの信仰をしのんで歌ったものと見ているようだ。どちらにしても四面楚歌、孤立無援のような状況に置かれた者の気持ちを表した心の叫び。
神様は私たちに幸福になるためのご計画を持っている。それでは、なぜこの詩篇の筆者のような苦難の中を通すのか。
以下の聖句が1日のうちに2回も示された。
「もし誰もが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなた方は庶子であって、実の子ではありません。」
「霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。」(新共同訳、ヘブル人への手紙 12章8、10節)
父なる主だけが私の心に働きかけ、砕き、へりくだらせてくださる。苦難の中にあるなら、それは神様がまだ私にへり下る心が必要だと教えてくださっているのだと感じた。
ダビデや当時の筆者は困難にあっても、それは主の愛による計画だと信じて受け入れた。私もそうやって困難を嘆くのではなく感謝を持って受け入れ、主のこれからの計画がどのようなものであるのかに想いを馳せることが出来る。そのような心持ちに聖霊様によって変えてくださった事を感謝せずにはいられない。
その背景にはイエス様が私の為に罪を贖ってくださり、使徒たちの働きによりこれらの沢山の御言葉にふれる事ができる。その事に心から感謝をそして賛美を捧げたい。
「心に恐れを覚える日 私はあなたに信頼します。
神にあって 私はみことばをほめたたえます。
神に信頼し 私は何も恐れません。
肉なる者が私に何をなし得るでしょう。」(3~4節)
「強くあれ、雄々しくあれ。
彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主ご自身があなたとともに 進まれるからだ。
主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31:6)
「神にあって 私はみことばをほめたたえます。
主にあって 私はみことばをほめたたえます。
神に信頼し 私は何も恐れません。」(10~11節)
祈り
天の父なる神様。今日もあなたとの時間をありがとうございます。24時間休まず働くあなたから、「恐るな」と沢山の御言葉を受けました。ありがとうございます。苦難の中にあっても、あなたに召された者として、喜びを持って歩んでいけるよう私の心を整えて下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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