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2021年10月24日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2021年10月24日
  • 読了時間: 3分

詩篇第二巻  53章


「愚か者は心の中で 『神はいない』と言う。」1節


 詩篇53章の下段にある注解釈に沿って詩篇14章を開いてみると、53章とほとんど同じことが述べられている。違いは14章では、「主」ということばが書かれているが、53章では、「神」ということばが書かれている。「主」と「神」は同じことだが、あえて違いをいうならば、

「神」は全世界を創造されて支配されておられる。いかなるイメージによっても表されていない。「神」は、父、創造主、全能者、イエスキリスト と呼ばれている。

「主」はイスラエルと契約を結ばれた人格的な神とのニュアンスを持つ。「主」は、王、

老人、父親など多くのイメージで表されている。


「神はいない」と心の中で言う人、いや心の中でなく堂々と口にする人々がいる。私の友人の中にもおられる。「私は無神論者で科学的に物事を考えるほうである。でも、各自の宗教は否定しないが、自分は違う。」とはっきりその方の口から言われた時は、驚くよりも何が彼女にそう言わさせたのかと興味深々に思っていたら、その方曰く、「自分の父親は科学的思考を持った人で、私は父の考え方に共感させられることが多々にあり、自分もいつの間にか科学的思考の持ち主になっていた。」と言われていた。「神はいない」ということを信じて歩む人生ってどんなものだろう、恐れはないのだろうか、平安はあるのだろうかといろんな思いが馳った。


 私は、クリスチャンになる前から「神はいない」と思ったことはなかった。「神はいる」と信じていた。でも、私が信じていた神は全能の神ではなく祖先だった。真の神ではなかった。私の父はかなりの信仰の持ち主であったと記憶している。残念なことに父の信じたのは真の神ではなくて祖先様だったのである。私もやはり親の影響で、祖先様があるから今の自分達があるのだと間違った神を崇拝していたのだ。父は、祖先様を大事にしなければいけないとよく仏壇の前で手を合わせていた。その祖先様を造られたのが真の神であることを知らずに逝った父のことを思う時は残念である。全世界で自分達の造った偶像を真の神であると信じて崇拝している人々はこれからも延々と続いていくだろう。真の神を知らないで、いや知ろうとしないで偶像に走っている人々に私達クリスチャンにできることは何かと問われるところである。


祈り

愛する天の父なる神様。あなたの御名を心から賛美します。

愚か者にならないように、どんな時でも「神はおられる」ということを心の糧として歩んでいくことができますように。同時に他者を恐れずにイエスキリストの御名によって、私達はこれからも「神はおられる」ということを大胆に証しできるように導いて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。

アーメン


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