詩篇第二巻 49篇
知恵の詩篇
毎朝、メールチェックをする。その中に沢山の通販サイトの宣伝メールが含まれる。100通のうち、本当に必要なメールは10%未満。そんな宣伝メールに踊らされて、通販商品を買いまくっていた事を思い出した。それらの商品で、今手元にあるのはなんだろう? 思い出せない。それくらいどうでも良いもの。そんな物に時間もお金も費やして無駄な日々を過ごしたことを後悔している。
「人は死ぬとき、何一つ持っていくことはできず その栄誉も その人を追って下ることはない。」(17節)
詩篇49〜51篇はキリストにある神に対する享受に関する3種類の人の事が述べられている。今日の49篇は特に知恵の詩篇と言われている。そして自分の財産、すなわちキリスト以外のあらゆるものに信頼する人の事が述べられている。
まさに私の子ども時代の話のようだ。お金に取り憑かれていた両親。最終的には全てを失い、家族はバラバラになった。子ども時代に生活が180度変わった転落人生が私の若かりし頃の思い出。そこから一人で17節の御言葉には辿り着けなかった。だからかつては自分で働いて得たお金を湯水のように使っていた。
しかしどんな富を持っても乾いた心は救えない。
「自分の身代金を神に払うことはできない。」(7節)
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せば良いのでしょうか。」(マタイ16:26)
そのような過去の経験から神様は私に問いかける。どのようにあなたは生活しますかと。
このまま心に空洞が空いたままなのか? 空洞を埋めるために貪るのか?
しかしそんな私でさえも主は救ってくださる。
「しかし 神は私のたましいを贖い出し、よみの手から 私を奪い返してくださる。」(15節)
新約聖書時代に生きる恵みを感謝します。イエス様が私の罪の為に十字架にかかって贖ってくださった。だから今は神の子として主を父と呼べる存在となった。その事を信じてこれからも歩んで行きたい。
「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。
なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。これもまた空しく、風を追うようなものだ。」(伝道者の書 2:25〜26)
今日も主から御言葉を頂き、衝動的な行動に走らずに済む状況に感謝いたします。
主、イエスキリストのお名前によって、御前にお捧げいたします。アーメン。
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