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2021年10月18日 ディボーション 

詩篇第二巻 47篇


『神への賛美』


 タイトルに「指揮者のために。コラ人による。賛歌。」とある。つまり、詩篇47篇の歌はコラ人が歌ったもの、ということである。ではコラ人とは誰か。彼らはレビの子孫たちである。彼らの祖先は、アロンの祭司としての立場に不満を抱き、ルベンの子孫たちと共謀してモーセに立ち向かうが、その行動は神の怒りに触れる。神は「滅ぼし尽くす」と言われたが、モーセによって、悪い者たちの天幕から離れた者たちは、神の怒りから免れ、生き残ることができた(民数記16)。この「離れた者たち」の中に、コラ人もいたのだろう。正しい選びをしたコラ人たちは、レビの子孫として、神殿にて神に仕える祭司を助ける働きをして来たのだろう。彼らは聖歌隊であったと思われる。その子孫たちの歌がこの詩篇47篇である。

 この歌はたぶん、モアブ人とアンモン人との戦いを前にしたヨシャファテ王にたいして、コラ人が歌ったものであろうと思われるが(第二歴代誌20:19)、これは、キリストの昇天と再臨を歌った歌である。


 「神は上られる。喜びの叫びの中を。主は行かれる。」(5)

 「神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。」(8)


 聖書にある神への賛美には、楽器、歌、そして踊りがある。自分は踊りをもって神を賛美する奉仕をさせていただいているが、毎回、選曲はもちろん、振り付けに悩まされている。楽器や歌による神への賛美の壮大さは、身体では到底表現できないからである。歌詞に振り付けを合わせるとリズムに合わないし、リズムに振り付けを合わせると歌詞に忠実になれない。どうしよう、と悩んだ時、ダビデの踊りを思い出した。ダビデは、失われていた神の箱がダビデの町に戻されたとき、喜びのあまり、主の前で力の限り跳ね回り、踊ったのである。ここから、心に喜びがある踊りを神は喜ばれるのだと気付かされた。それからの私の振り付けは、歌詞に合わせるだけでなく、心の喜びを身体で表現することに集中するようになった。だから時には、歌詞に合った振り付けでないことに疑問を持たれることもあるが、「賛美」が心の喜びを表現するものであるなら、何かにこだわる必要はないのだと信じている。それがわからない人たちは、ダビデの妻のミカルのように心の中で蔑んでいるかもしれない。しかし、見ておられるのは全てを治めておられる神である。神を称え、神への喜びの賛美をする者たちを、神は喜んでおられるのだ。


祈り:

 主よ。私のようなものがあなたを賛美できますことを、ありがとうございます。あなたへの感謝の賛美は、私の心に喜びと平安を与えてくださいます。主が臨在される場所で、神に仕え、賛美されておられる兄弟姉妹の上に、主の豊かな祝福がありますように。楽器や歌、また踊り以外の形で、神を賛美しておられる兄弟姉妹の上にも神の豊かな祝福がありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。




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