詩篇第二巻 45篇
『心耳で聞く』
4年ほど前だったか、初めて詩篇の通読をしている時、牧師室の本棚で、『小林和夫著作集 詩篇講解』という4巻の、箱入りの立派な本を見つけた。小林先生の名前も知らないまま、通読の参考になるやもと借りて帰った。読み始めてすぐ、膝を打つどころか、世界の中心で愛を叫びたいくらい本の魅力に惹き込まれた。ハマり過ぎて、聖書を忘れ『小林詩篇』を読み耽ってしまったほどだった。
『詩篇講解』は、東京聖書学院教会の日曜礼拝において、小林先生が説教をされたその収録だ。詩篇の1篇から150篇まで、足かけ7年もかけて語られたその偉業もすばらしいが、内容がもう天下一品。学院教会の信徒の皆さんだけにせず、よくぞ共有財産として書籍化してくれたと感謝した。
小林先生の天下一品ぶりとは。まず言葉は分かりやすい。分かりやすいけど深いから、もっと聞きたくなる。私事などはさまず、聖書を聖書で解説するだけ。それなのにインタレスト、面白いのだ。そしてさっき初めて神さま体験をしたみたいな、初々しい喜びに満ちている。
聖書の解像度がこんなに高い文体に出会ったのは初めてだった。視界がパーっと広がった。解像度の高い小林先生の言葉は、詩篇を解説するのではなく、新たな詩篇を聞かせてくれるようだった。
小林先生は私の恩師、教えに従いたいと願い祈った。
ただ、この詩篇45篇の講解だけは「従えません」と、ページを閉じそうになったことをよく覚えている。
45篇は唐突で不可解な詩篇だ。対象は王さまとその妃で、王の人柄を褒めたたえ、妻となる妃にその心構えを説く。
小林先生は、9節までが花婿ソロモン王を讃える歌、10から15節までは王妃の栄えと恵み、そして16節以降はキリストの花嫁としての教会、メシヤ再臨と3点フォーカスし、解き明かしが進んだ。
そして「クリスチャンのアイデンティティーの一つは、キリストの婚約者、フィアンセであるということです。「あなたはだれですか」と言われたら、「はい、イエスのフィアンセです」と言ったらよいのです。「恥ずかしいな。とてもふさわしくない」などと言わないで、「私のフィアンセはイエスさまです」と言ってください。それがクリスチャンです。」
私はイエスさまのフィアンセという言葉にドン引きしてしまった。大年増のくせに肉の照れが先走った。不可解な45篇は脱線し、消化不良のままフェードアウトしていた。
数年ぶりに45篇を黙想して思った。これはソロモン王とその妃の愛の歌に見せながら、実は全編イエスさま再臨のメタファーなのではないだろうか、と。
花婿イエスさまの再臨を喜び讃え、イエスさまの花嫁である教会とそこに集う私たち信徒が霊的に一つになり、晴れて真の結婚=イエスさまの似姿に変えていただく、というハッピーエンドの道程。
「娘よ 聞け。心して耳を傾けよ。あなたの民と あなたの父の家を忘れよ。」45:10
大正、昭和の小説などには「心耳で聞く」という日本語が出てくる。本当に心して、心でダイレクトに聞く”心耳”という言葉。
神さま、御ことばを心耳で聞けますようどうか整えてください。民と父の家を忘れ去るほど、イエスさまに付き従って行けますよう、私を鍛えてください。
再臨を期待して、イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
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