詩篇第二巻 44篇
神様は人間に痛みや苦悩を与えない、とは聖書のどこにも書いていない。希望のひとかけらもない絶望のどん底で出来ることはたったひとつ、祈ること。
神様を信じて祈ることによって、心が解放されて自由になり救われる、と聖書に書いている。
病気が治ったり、悩みが全部消えてハッピーな気分になる事が救いではない。思いがけない不幸な出来事や、受け入れがたい厳しい状況の中でも、私の心は決して神様から引き離されることはなく、私の魂は神様に守られて永遠に生き続ける、そう確信をもてることが救いだと思う。
人生は山あり谷あり。うまくいってる時も、うまくいかない時も、神様の存在を忘れず、主の道からそれないことの大切さを、聖書は私たちに伝えてくれる。
44篇前半では、神様への絶対的な信頼がほめたたえられている。ところが、中盤の9節からは打って変わり、主への苦情申し立てが始まる。
「それなのに あなたは 私たちを退け 卑しめられました。」9節
「あなたは私たちを 餌食となる羊のようにし 国々の間に散らされました。」11節
このまま神様への不満が続き、望みを失くしてしまうのか、と思いきや、
「起きてください。主よ なぜ眠っておられるのですか。目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください。なぜ 御顔を隠されるのですか。私たちの苦しみと虐げをお忘れになるのですか。」23〜24節
と、神様を強く呼び求める言葉が現れ、そして、最後の26節でこう結ばれる。
「立ち上がって 私たちをお助けください。御恵みのゆえに 私たちを贖い出してください。」
クリスチャンとは祈る人のことだ、と三浦綾子さんの本に書かれている。祈ることで、問題の解決方法が示されることもあるだろう。
けれども、それよりもっと嬉しいのは、祈ることで神様の愛を知ること、イエス様と関わり合えること、聖霊様から力をもらえること。
つまり、自分は一人じゃないんだと感じる心、神様と、いつもつながっている感覚、この恵みが、私たちの大きな支えとなり、苦難の中でも心を平安に保つことが可能になる。
絶望の中であきらめたり、あるいは自分一人の力で乗り切ろうと考える必要はない。いつも私たちの魂を強め、癒して安らぎを与え、不安や恐れから救ってくださる神様を求めて祈りなさい、と聖書は教えてくれる。
祈り:
愛する天のお父様。あなたの恵みによって今日も生かされていることに感謝します。苦難の中にいる時こそ、主に祈り続ける自分でいられますよう、どうか私を助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
Comments