2021年10月1日 ディボーション

詩篇第一巻 30篇


「アルプスの少女ハイジ」を観て、干し草のベッドや大きなモミの木、ヤギの乳搾りに憧れた人は多いと思う。私は小学生の頃、番組が始まる5分前にはテレビの前に正座してスタンバイ。「口笛はなぜ〜遠くまで聞こえるの♪」の主題歌にのってハイジが登場すると心が躍り出した。


 そのハイジの原作本を先日初めて読んだ。ところどころ、涙が止まらなくなった箇所がある。たとえばこの言葉。

「ハイジ、この世の中にはどうにもならない事がいっぱいあるんだ。だが、それに負けてしまっては暮らしてはいけないんだ。」


 この地上に生きていると、何が正しくて何が正しくないのか、わけが分からなくなることがある。筋が通らないおかしな話、不条理な出来事、事故や災害の惨状を目の当たりにし、生きる意味や目的を見失うことさえある。

 それでも神様は、私たちに命を与え、生きることを求めておられる。

 けれども、人生は決して生易しい道のりではない。地上生涯を歩まれたイエス様はそのことを知っておられる。

 だからこそイエス様は、いつも私たちの隣にいて励まし、その時々に必要な気付きを与え、憂いを喜びに変えてくださる。


あなたは私のために 嘆きを踊りに変えてくださいました。

私の粗布を解き 喜びをまとわせてくださいました。(11節)


 ハイジの物語の後半、ドイツで暮らすクララが、ハイジの住むアルプスの山小屋を訪れ、一緒に夏を過ごす場面がある。

 足が不自由で車椅子を手放せないクララは、多くの人に手助けされながらスイスの山に到着する。山小屋で過ごす期間も、皆が彼女を支える。

 いつもそばにいて車椅子を押してくれるハイジ。背中にクララをおぶって長い上り坂を歩き、山の上のお花畑まで連れて行ってくれるペーター。

 おじいさんは、毎晩クララを担いで屋根裏に続くハシゴを登り、干し草のベッドまで運んでくれる。おいしい食事を準備し、体が冷えないよう常に気を配ってくれる。


 それまでは、他者のサポートを当然の事のように受けてきた世間知らずのクララ。

 彼女は、多くの人たちの支えがあって自分の生活が成り立っていることに気付かされ、アルプスの大自然の中で号泣する。クララに「感謝の気持ち」を芽生えさせたのは、きっと神様にちがいない。


私の神 主よ

私はとこしえまでも あなたに感謝します。(12節後半)


 最後に、クララは立つ。車椅子から立ち上がり、自分の足で一歩を踏み出す。


祈り:

 愛する天のお父様。あなたは私のたましいを闇の中から引き上げてくださいました。たくさんの人に支えられながら生かされていることに気付かせてくださいました。イエス様は私の救い主です。感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



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