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2021年1月31日ディボーション

Ⅱ列王記18章 

18章9、10節「ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。」

 この箇所は、歴史的な出来事が記されている。つまり北イスラエル王国が滅亡したということだ。その前から、少しづつ王国は削られていたのだが、最期の時がここに記されている。

17章22、23節には、滅亡の理由が「ヤロブアムの罪」であることがはっきりと記されている。この時以来、北イスラエル王国の10部族は「失われた10部族」と呼ばれ、地の果てまでも散り散りになってしまい、今日もそうである。

 この「失われた10部族」がその後どうなったのかについては、多くの研究書が出版されている。人々の興味を掻き立てる事柄なのだろう。

18章24節からは、南ユダ王国の歴史が主になり、25章においては、南ユダ王国の陥落に至る。

 ところで、この「失われた10部族」がシルクロードを通って中国にまで来たという説は、かなり信憑性がある。そしてそこから日本にまで来て、文化的に影響を与えたという説も歴史的に十分にあり得ることだと思う。(ただし、日本人の先祖がユダヤ人であるという日ユ同祖論になると、行き過ぎだと思われる。)

 もしそうであるなら、その日本に来たユダヤ人たちは、「ヤロブアムの罪」を持ってきたはずである。その証左として一つ思うことは、北イスラエル王国が滅亡した後、多くのユダヤ人がアッシリヤ帝国に捕囚となって連れて行かれたが、サマリヤの街に残されたユダヤ人もいた。その時、周囲の国からサマリヤに入り込んできた異邦人の偶像のカミと真の神を、同時に拝むということが行われたと記されている(17章41節)。

 世界の中で、複数の神々を同時に拝める民族は、あまり多くない。日本人は古来より、それが出来る宗教性がある。クリスマスを祝い、新年は神社に行き、神棚を祭り、しかし葬式は仏教で行い、結婚式はキリスト教がいいという、最近では宗教のハシゴが流行っているともいわれる。このように同時に拝めるという宗教性は、もしかしたら「失われた10部族」からもたらされたヤロブアムの罪の名残りかもしれない。

語られたこと:

いずれにしても、私たちは、ヤロブアムの罪という、神の御前に自分の実体を隠すという事から、聖霊と真理による礼拝を捧げる者でありたいと心から願う。

 さらに、この「失われた10部族」も、やがてキリストのもとに一つに集められるという預言が必ず成就することも心に留めておきたい。神の真実、永遠の愛の確かさをそこに思う。

祈り:

 天の父なる神さま。私たちが、まず真の礼拝者として、いつも主の御前に出るものでありますように。ヤロブアムの罪から私たちを清めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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