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2021年1月21日ディボーション

旧約聖書:Ⅱ列王記8章 


 北イスラエル王国と南ユダ王国の歴史が交差し、またそこに他国との関わりが入ってくるので、状況を理解するのに時間を要するが、整理していくと全体像が見えてくる。

 アハブとイゼベルという北イスラエル王国史上の最悪のコンビについては、Ⅱ列王記の書き出しが「アハブの死後」(1:1)と記されている通りだが、アハブを操っていたイゼベルは依然として影の権力を握っていた。

 そしてなんと、イゼベルの娘アタルヤが、南ユダ王国ヨラム王の妻となっていたのである。そのために南ユダ王国もアハブと同じ罪を犯した。(8:18)これは、間違いなくイゼベルの策略である。娘のアタルヤを南王国に送り込むことで、南王国をも影で支配したのである。この時イゼベルの罪は、北王国だけではなく南王国をも浸食していたということだ。

 しかし、9節にはこのように書かれている。「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主は、ダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」

 南王国のユダ族からメシヤは誕生する。それがダビデのともしびである。それがゆえに、北王国は滅んでも、南王国は滅びを免れたのだ。

 イゼベルの影の支配が南王国に入ってきたところで、神のストップがかかる。南王国に手を出したイゼベルとアタルヤの命運もこれまでとなった。

 この出来事を大局的に見るならば、歴史は常に、この「ダビデのともしび」を消そうする勢力がいることを現わしている。イスラエル民族は、何度もホロコーストの危機にさらされている。しかし、それでも滅び尽くされないのは、「ダビデのともしび」を与えた神の約束のゆえなのだ。

 イゼベルの最大の罪は、バアルの偶像で国を満たし、真の神の預言者を虐殺したことだが、それが意味することは、「ダビデのともしび」を消す、つまり南ユダ王国を支配、神から引き離し、メシヤの系図を断ち切ること、それはイエスの誕生を阻止することだったのだ。

語られたこと

 今でもイスラエル民族は、神の計画の中心的存在である。「ダビデのともしび」は、今も消えていない。私たちは、イスラエルの平和を祈り、イスラエル民族がイエスをメシヤ(救い主)として受け入れ、全世界の祝福の基となるという本来の使命を取り戻すことができるようにと心から願いたい。


祈り

 天の父なる神さま。イスラエルの平和を祈ります。アブラハムの子孫である彼らを祝福します。どうぞ、彼らが、イエスをメシヤ(救い主)として受け入れることが出来ますように、心から願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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